新しい言語学

手紙(11)

   山口仲美先生への手紙  

山口仲美先生

 大変ご丁寧なお返事、有難うございました。
 「犬 びよ」も「ちんちん千鳥」も読ませていただきました。「擬音・擬態語辞典」もデスクの上で威張っています。

 テレビ編集の乱暴なことは常々聞いていました。でも、怖いですね。安心いたしました。

 音義説につきましては、私はどちらかと言うと好意的です。オノマトペはもちろん、普通の言葉にも‘語感’はかなり効いていると思います。特に日本語、なかでも助詞、いわゆる‘てにをは’には非常に効いていると思います。
 欧米語には、ソシュールも言うように効いていないのかもしれませんが、
   in―out、on−off、dog−cat、clean―dirty、mama―dad
の組合せの逆は‘語感’的にはありえないと思います。
   cut、smooth、through、cool、bomb、burst、・・・・ 
などにも‘語感’が生きていると思います。

 音義説に関する評論を二編添付しました。(サイト掲載用に準備しているものの中から)
 お忙しいこととは思いますが、お目通しいただき、ご指導なりいただければ有難いのですが、

           平成22年11月19日
                       増田嗣郎

 

山口仲美先生

 初めてお手紙を差し上げます。
 私は、言葉の音の響きのイメージを研究しているものですが、この夏、先生が出演なさっている番組を見ての評論を書いてみました。私のサイトに掲載しようと思っています。
 私の解釈に何か落ち度でもあってはと思い、念のため、この手紙を書かせていただきました。
 ご指摘、ご指導などがあれば嬉しいのですが、
 なお、掲載予定のサイトは、下記です。どちらにするかは決めておりません。

 http://theory.gokanbunseki.com
 http://www.gokanbunseki.com

      増田嗣郎
           masuda@or2.fiberbit.net

         平成22年11月11日

  音に意味があるか  

先日、NHKの日本語をテーマとしたバラエティ番組を見た。
その日の中心テーマはオノマトペ、すなわち、擬音語、擬態語であった。

初めて聞いたオノマトペでも何となく分かり合えるのはナゼだろうかということになり、蟯鏡リサーチ社長の黒川伊保子さんが、それは‘共通の発音体感’を持ち合っているからだと例を挙げてくわしく解説していた。
すると、その日のコメンテーターとして出演していたオノマトペの専門家で明治大学教授の山口仲美先生が「それは江戸時代から国学者がちゃんと言っている。」と切り捨てた。
そして「それは音義説といい、一つ一つの音に意味があるということだ。」と言い切った。
私は、エエッ と思った。
発音体感説が音義説と同じであるとは。
音義説は、現在の言語学界では肯定的には考えられてはいない。
しかし、山口仲美先生は音義説を肯定的に考えておられるのだろうか。
それにしても、発音体感説と一つ一つの音が意味を持っていることが、同じことになってしまうのだろうか。
そもそも一つ一つの音が意味を持っているのだろうか。
そして、この場合の‘意味’とはどういう意味か。
いろいろ疑問がわいた。

そこで辞書で‘意味’を引いてみた。
「あることばの表わしている内容」とある。‘意味’は‘内容’である。
そこで、音象徴をもっているとされているオノマトペ、その代表として‘カラカラ’を引いてみた。
○ かたいものかかわいたものなどがかるく触れ合って出る音の形容
○ さわやかに声高く笑うようす
○ かわききって水分のないようす
○ 中に少しもないようす
とあった。すなわち、‘音の形容’であり、‘ようす’である。

それでは、‘音の形容’、‘ようす’と‘内容’は同じことか。
‘内容’というのは、そのものであるが、‘形容’、‘ようす’というのは、そのものを外から見た観察の結果である。
‘内容’が直接的であるのに対し、‘形容’、‘ようす’は間接的である。間接的であるが故に、間に主観が入る。
言い換えれば、‘内容’は客観的で、‘形容’、‘ようす’は主観的ともいえる。
この二つの違いは大きく、次元の違いと言っていいほどの違いである。

この主観的で間接的なもの、すなわち、‘形容’‘ようす’を‘意味’といっていいのか。
‘ものごと’の‘内容’は分節して、言葉として切り取ることができる。
この‘ものごと’と言葉の関係が‘意味’なのである。
‘ものごと’の‘ありよう’は一つの言葉には分節できない。(普通の言葉には)
‘ありよう’はいろいろな側面をもっており、見方によって見え方が変わる。したがって、‘ありよう’は多言をもって説明するしかない。
しかし、オノマトペは‘ありよう’を一言で表現しうるのである。
オノマトペは一般の言葉とは異なる特殊な言葉である。
オノマトペは分節前の言葉、原初的な言葉ということができる。
これは、分節しきれない‘ありよう’を、分節前のオノマトペ故に表現しうるということである。
‘ありよう’には、いわゆる意味はない。説明するしかない。
‘形容’、‘ようす’は説明なのである。
この‘ありよう’を説明するオノマトペは、自身に‘内容’があるのではなく、説明なのである。
この意味で、オノマトペには意味はない。

それでは、このオノマトペを構成する音一つ一つは‘内容’を持っているのか。
オノマトペがそうであるように‘内容’は持っていない。しかし、‘ありよう’を説明する要素は持っている。
‘ありよう’を説明する要素が、いわゆる、音象徴といわれるものなのである。

一つ一つの音が音象徴を持っているから、それらの音で構成されたオノマトペが‘ものごと’の‘ありよう’を‘形容’あるいは、‘ようす’として説明することが出来るのである。
一つ一つの音は、いわゆる‘意味’は持っていない。しかし、音象徴はもっているのである。
(本当は別途説明するように、厳密には音象徴すら持っていないのであるが、現象として持っているかに見えるので、そう見做して議論をすすめることもある。)

音義説といういいかたは誤解を招きやすい。一つ一つの音が意味を持っているというと、一つ一つの音が‘内容’としての意味を持っていると受け取られかねないのである。
一つ一つの音が‘内容’としての意味を持っていると誤解して、「‘キレイ’と‘キタナイ’という反対概念の中心に同じ‘キ’があるのはおかしい。」などという議論がでてくる。(ちなみに、‘キタナイ’の‘ナイ’は否定の意味の‘ない’ではない。)
このようにして、ソクラテスの昔から音義説は論難されてきた。
(もっとも、ソクラテスも最初は発音がものごとを模写しているといいながら、途中から発音と文字の混同がおこり、後々、議論を否定される隙を作ってしまった。)

山口仲美先生は、‘共通の発音体感’と‘一つ一つの音が意味を持っている’との関係をどのように考えておられるのだろうか。どのように結びつけて理解なさっているのだろうか。

ところで、一つ一つの音が音象徴を持っているという言い方をすると、厳密にいうと、音に何かそのような性格があるということになる。
音というのは物理現象である。この物理現象の中に音象徴をもたらす何かがあるのだろうか。
音という物理現象は空気の振動であるから、最終的には周波数と波形ということになる。声としての音は、いろいろな周波数といろいろな波形を持った波の集合体で、波同士の共鳴現象などの結果である。
しからば、音象徴は周波数、波形、そして、それらの相互関係によって生み出され得るのだろうか。
一部の音象徴、例えば、高い、鋭い、あるいは、乱雑などは、周波数、混じる波の多さなどによって、違いがでるだろう。しかし、温かい、乾いた、粘る などはこれらの物理量の相互作用から出うるものではない。
このように、物理的には、一つ一つの音が音象徴を持っているという言い方は間違いなのである。

発音体感説というのは、聞こえという外部から与えられるやに見える現象の根本原因が、自己の内部にあるという逆転の考え方である。
物理的な音そのものには何もなく、音が契機となって自らの中に音象徴を感じせしめるという考え方である。もともと音象徴の体系を我々一人一人が内部に持っているのである。
言葉というものは生まれつき人に備わっているわけではない。備わっているのは、言葉を習得しうる素質、すなわち、発声器官とそれを可能とする脳のシステムだけである。
人は生まれた言語環境の中で言葉の音を聞き分けることを習得し、発音し分けることを習得する。
RとLの音の対立のない言語環境では、RとLを同じものと仕分けすることを習得する。そして、RとLを区別することが出来なくなってしまう。
日本語環境で育てば、言葉の音の単位を拍で捉えるようになるし、英語環境で育てば、シラブル単位で捉えるようになる。
この音の聞き分けと同時並行的に音の発音し分けを学習する。
この発音の学習は文字通り見様見まねで学習する。そして、繰り返しの試行錯誤の苦闘の末、やっと発音できるようになる。
一つ一つの発音には、息の出し方から始まって、ノドの開け閉め、舌の形と動かし方、口腔の形、唇の使い方、そして、それらのそれぞれの筋肉の使い方、タイミングなどという膨大且つ微妙な一連の作業が必要で、この作業の一つ一つは全て脳からの指令によって初めて行われる。
人間の動作の一つ一つには必ず感覚が伴う、感覚のフィードバックを必ず受けている。もの一つ掴むにも感覚のフィードバックは必要である。掴むものが固いか柔かいかによって掴む力加減も違う。
初めてのものを掴むときは、ことさら、指先からの感触を頼りに掴む力を加減する。何度も掴む行為を繰り返すうちに、この力加減を意識しなくなる。しかし、感覚のフィードバックは、必ず行われている。
一つの音を発声するには、いろいろな筋肉の共同作業が行われるが、その筋肉の動き一つ一つに感覚が付随している。
したがって、一つの音の発声には、感覚の一連の流れが生じる。いろいろの感覚のかたまりの流れ、すなわち、クオリア的なものである。
一つ一つの音には、このように感覚のかたまりの流れ、クオリアが付随する。
一つ一つの音の発声の動作手順とそれに伴う感覚的クオリアは、それぞれ対となって脳内に記憶される。
動作手順は小脳に記憶され、無意識化される。(自動化される。意識しては動かせない。)
通常、この感覚的クオリアも発声時には意識には上らない。しかし、意識して発音体感を精査すると、個々の感覚として分節・言語化することが出来る。これが音象徴である。
このように、音の聞き分け、発音し分けのシステムが脳内に出来る。
これを音韻秩序という。
同時に付随する感覚のシステムも出来る。
これを‘語感秩序’と言おう。
この感覚のシステム・‘語感秩序’には気持ち・気分的なものも一部含まれる。
一方、人間が言葉としての音を理解するとき、この音がそのまま、その人の脳内で処理されるのではない。
お母さんの言う‘おはよう’と、お父さんの言う‘おはよう’では音の高さが違う。
これが同じ言葉として脳内で処理されるのは、お母さんの‘おはよう’、お父さんの‘おはよう’がそれぞれ脳内の音韻秩序で照合され、共に自分の音‘おはよう’に変換されるからである。(脳内言語―神経パルスパターン)
もちろん、自分で発声するときも、この音韻秩序で調合され、‘おはよう’という言葉が作られ発音される。
言葉というものは、発声するときも、聞いたときも、必ず自分の音韻秩序との照合を経て処理されるのである。
この限りにおいて、しゃべることも、聞くことも、そして、読むことも同じことである。
そして、しゃべるときも、聞くときも、この音韻秩序と連動して感覚のシステム・‘語感秩序’も参照される。
気分によって、しゃべる言葉、そして、音が選択されるし、聞いた言葉からその言葉のもつ情感、そして、それぞれの音の持つ情感の流れを感じ取ることが出来る。(声の出し方、表情などの他に言葉そのものからも、)
この情感は、音そのものが持っているのではなく、その音がきっかけとなって自分の持つ‘語感秩序’から選び出されるのである。
ところで、発音体感とは、この気分、発音に際しての口腔内外の体感の全体を意味する。
聞こえという受動的表現ではあるが、このときも脳の中では自分の言葉に変換され発音時と同じ体感が生じているのである。
音が音象徴を持っているのではなく、自ら作った脳内システムで自ら感じているのである。(自家感覚)
ただ、結果として、一つ一つの音がそれぞれ音象徴を持っているかのように見えるのである。

発音体感が共通なのは、人間は、すべからく同じような肉体構造を持っているからである。同じような身体の使い方をして初めて、同じような音が出るため、ほぼ、同じような体感を持ち得るのである。
‘ア’という音を発音するとき、誰しもが同じような口の形をして、同じような息の出し方をするので、同じような発音体感を持つのである。
もちろん、個人的なクセもあって全く同じ体感ではないかもしれないが、誰しもが同じ赤いバラを見て赤いと感じる程度の差程度しか差はないと思われる。(男と女では感じる赤の程度にかなり差があるといわれている。)
なお、人が言語活動を行うには、この音韻秩序をベースにして言葉の意味の辞書(レキシコン)、及び、その言語特有の統語方式を学び取り、自己の内部に自らのシステムとして構築しなければならない。
これは、各人が自らの脳内に自らの言語システムをそれぞれ持っているということである。
言葉そのものには内容はなく、形があるだけである。この内容のない形だけの言葉から、各人は各自の言語システムで意味を読み取っているのである。
もちろん、無意識であっても情感を同時に読み取っているのである。(これが‘語感’。)

以上のように、音象徴は、単に結果としての現象を言っているに過ぎない。
しかし、発音体感説はその原因を言っているのである。
したがって、山口仲美先生のように‘発音体感’を音義説と切り捨てられては、今後の言語学の学問としての発展のためにも、困るのである。
ところで、山口仲美先生は、音一つ一つに意味があると思っていらっしゃるのだろうか。
    (平成22年9月5日)

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