新しい言語学

感性とは

感性 とは  

                  → サイト 語感分析  感性について

   感性とは  

感性を国語辞典で引くと、
「外界の刺激に応じてなんらかの印象を感じ取る、その人の直感的な心の働き。」とある。

私は、これでは不十分だと思う。
意識化して、なんらかの形で表現できなければ感性といえないと思う。絵に表現する、音楽で表現する、歌に詠む、一般的には、言葉に表現でできなければ感性とはいえないと思う。
心の中でただなんとなくでは、まだ感受性の段階で、感性にはなっていないと思う。

‘Kansei Science’ という博士課程を持つ九州大学では、
「感性は、感受性(sensibilities)、印象(impressions)、心地(feelings)、感情(emotions)、感度(sensitivities)など、幅広い含意を持つ、・・」
としているが、これとてフィジカルな現象面の把握に留まっているように思う。
感受性と感度を別だてにしているのは、幅と鋭さの両方を言いたいがためであろうが、印象、心地、感情として感じても、それが、内的に意識化され、何らかの形で外部に表出されなければ感性とはいえないと思う。少なくとも、言葉で表現されなければ感性があるとはいえない。
言葉で表現するためには、まず、‘なんとなく’という潜在意識段階のものを顕在意識化し、それに適合する言葉を選んで当てはめなければならない。この心の中のものと言葉の間には、気持ちを音のカタマリとどう結び付けるかという大きな問題があり、ここには大きな飛躍が必要となる。
この言葉にする能力は、一応誰にでもある。日本語をしゃべれる人は日本語にする能力を持っている。しかし、この能力の質に大きな差があるのである。

より微妙な気持ちを言語化できるかどうか、幅と感度に違いがあるのである。
より微妙な気持ちを表現できるということは、鋭さだけではなく、その微妙な違いを表現し分けられる言語力が必要なのである。これには、ボキャブラリィの豊富さと、気持ちを言葉に置き換える比喩の能力が必要なのである。
俳人、歌人は、気持ちを俳句、和歌に表現しようとするが、これも言語による比喩的表現であるが、一般的な言語表現自体、言葉による比喩的な表現なのである。

ときに、この言語化能力を感性と勘違いして、修辞に走る傾向も見受けられるが、もちろん、感性の本質は、まず第一に、心に感じ得ることにある。

私は、感性とは
’内感の意識化とその言語化の能力’
であると思う。
体内からを含め、外部からの刺激、すなわち、五感、触覚・味覚・臭覚・聴覚・視覚、に対する刺激に対する反応とその内的評価を、潜在意識での‘なんとなく’という感覚から顕在意識の層へと汲み上げ、言葉にする能力である。
外部からの五感への刺激、冷たい、苦い、・・などに対する内的な評価、さみしい、悲しい、ウキウキ、・・などの‘なんとなく’の段階の気持ちを、言葉として、‘うら悲しい’などと表現できる能力である。
なお進んで、‘秋の夕暮れ’などと表現できれば、それはより高度な言語力ということができる。

潜在意識にある感覚を顕在意識化することは言語化することだという議論もあり、これは、思考に言語が必要かどうかの問題とも絡み、なお研究を要する課題だと思う。
        平成23年2月3日

   日本的感性  バラ か サクラ か  

佐々木健一先生の中公新書「日本的感性」を読んでいて面白い記述に遭遇した。

先生が、オランダのマストリヒト美術大学に滞在中、大学の中庭に咲く満開のサクラに、現地の人は誰一人関心を示さなかったのだそうである。そして、その一方では、花壇にバラやチューリップを植えて楽しんでいるのだそうである。
そして、先生はこの花の好みの違いを端緒として、われわれと西洋人との感じ方の違いを痛感したと書いておられる。
バラは一輪一輪見つめるべき対象であるが、サクラは一輪一輪ではなく群生するサクラ全体として、われわれを包み込むものだともおっしゃる。
そして、論を進め、このバラとサクラの対立は、根の深い問題で感覚や感性の違いに及ぶとおっしゃり、西洋の近代思想は認識する「我」を中心におき(主観)、この我が対象(客観)を捉える、という主観―客観の軸に添って構成され、この機軸の意味は、主観が対象を支配することであって、・・と述べておられる。
さらに、西洋的な世界認識は世界に対して距離をとり、明晰判明な像を結ぼうとするのに対し、日本的感性は直接の接触感を求めるとも書いておられる。

先生は、主に感性について述べておられるが、これは丁度、私が主張している、ものの見方の基本にある自分と自然との関係についての考え方の欧米と日本の違いに、まさに合致する。
私の言う自然との一体感を、感性としては接触感とおっしゃり、自然との対決を、距離をとり、明晰判明・・とおっしゃっている。
(ただ、私の‘I・You’理論からすれば、なにもこれは近代に入って始まったものではなく、欧米言語に内在するものではないかと思っている。)
図にすれば、対象とするバラ・サクラを自然・世界と入れ替えれば、全く同じである。

   図解: 日本文化 対 欧米文化  

      平成23年2月1日

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