新しい言語学

音韻遊び

   徒然なるままに、あれこれ思うことごと  意識、言語、文化、語感、人間、自然  

    
27〜8年前に買って読んだ「人は[無意識]の世界で何をしているのか」を引っ張り出して再度読み返してみた。著者は京大医学部出身の法政大学元教授千葉康則。そして、今回新たなことにいろいろ気付いた。これはこの間、語感の研究を始めたのを切っ掛けに、言語、そして日本語の勉強を、多少は、したために、関連の理解力が高まったためと思われる。
一番驚いたのは、千葉康則が意識と言葉の関係を盛んに言っていることである。脳機能において無意識が本来の状態であるが、社会規制との軋轢などによって、言葉によって分節化されて無意識が意識化される、という様な言い方をしている。子供がゲームに負けても「口惜しい」という言葉を知らなければ、口惜しいと意識はしないと言う。成程と思う。動物は尿が溜れば適当に放出する。ここに意識は存在しない。社会的存在である人間は、時所を構わずというわけにはいかない。そこで、「おしっこに行きたい」「トイレに行きたい」というような意識が起こるのである。もちろん、細かくは、「おしっこ」とか「トイレ」とか、「行く」という概念、そしてそれを表す言葉を知ってからである。この様に、ハッキリと意識するのではなく何となく落着かないという心的状態はある。それではこれは意識ではないのか。無意識でもなさそうなので前意識とでもいうのだろうか。日本人は、この何となくという状態を気に掛けるようである。そして、筆者は、いろいろ例を挙げて、「日本人は無意識の世界をよく知っている」とも言っている。日本人は無意識の存在に気付いているということなのだろう。
夏目漱石の「三四郎」にアンコンシャス・ヒポクリットという表現がでてくる。自らは気付いていない偽善者というような意味である。筆者が日本人は無意識の世界をよく知っているというのは、この場合、本人は気付いていなくとも周りの人間には見えているということなのだろう。したがって、このunconscious はsubconscious に近い概念ではないだろうか。Conscious とunconscious の間にsubconscious がある。Subconscious とsubliminal は感性についてはほぼ同じである。したがって、unconscious とsubliminal では概念が異なる。Unconscious は、本人にとって意識化はできないが、subliminal は基本的には意識化することができる。
ノーム・チョムスキーは、「言葉は思考のために生まれた」というようなことを言っている。しかし、これは間違いだと思う。言葉はコミュニケーションのために生まれ、同時にこの言葉によって思考が効率よく行えるようになったのだと思う。思考の発達は言語発生の副産物である。そして、無意識からの意識化もそうなのだろう。類人猿は、言葉を持っていないので、分節化されていない漠然とした感覚、感情の状態なのだろう。したがって類人猿は、意識は持っていないということになる。ただ、これも無意識とはちょっと違う。飼っている犬や猫も如何にも意識を持っているように見えるが、それは擬人化して見ているからで、感覚、感情のようなものはあっても、意識にまでは至っていないのだと言う。犬は、怒りとか不安の情動はあるので、唸りはするが、それが怒っているからとまでは言えないようである。意識として怒るということはないのである。情動としての反応があるに過ぎない。ちょっとさびしい気もするが、そうなのかもしれない、とも思う。
筆者千葉康則は、人間は脳機能が全く未熟のまま生れ、脳機能の大部分が生まれてから作られるのだと言う。人間には生まれながらの模倣性があるので、お腹の中から周りを感じ、生まれてからは、周りのもの、人、を感じ、聞き、見て、触って、概念化、分節化を覚え、言葉を覚え、意識化できるようになり、考えるということができるようになる。言葉がなければ、意識化して、さらに考えるということはむつかしい。ヘレン・ケラーのような生まれつきの聾啞者もいる。彼女が物事を考えられるようになったのは、周りの人の献身的な努力によって、触覚的なものから分節化し、そして概念化することを覚えたからであるが、周りのアシストがなければ、この奇跡は起こり得なかった。
ここで、意識という言葉の意味が気になって脳神経科学者の渡辺正峰の「脳の意識 機械の意識」を読み返してみた。渡辺正峰は意識の基本は感覚意識体験だと言っている。視覚であれば、ものが見えているということ。そして、聴覚であれば音が聞こえていることだと言う。これなら犬猫にも感覚意識体験はあるだろう。しかし、犬猫が何かを美しいと思うかどうか。周りの騒音をうるさいと思うかどうか。そもそも思うということがあるかどうか。まして、この美しさを誰かに伝えようと思ったり、騒音の出し手に注意しようなどとは考えないだろう。この様に思ったり、考えたりするには、やはり言語が必要である。千葉康則の言う意識はこの段階の意識で、意識があるとか、見えている、聞こえているだけの段階の意識とは違うようだ。渡辺正峰の言う感覚意識体験を原意識とするなら、客観化された意識、自己の内部で客観化された意識ということなのだろう。言葉が出来て初めて客観視することが出来るようになり、思ったり、考えたりすることが出来るようになった。これを千葉康則は意識と言っているようだ。
「チョムスキーと言語脳科学」で著者の東京大学大学院教授酒井邦嘉は、「人間は「言葉の秩序」を学習によって覚えるのではなく、誰もが生まれつき脳に「言葉の秩序」自体を備えているというのがチョムスキーの考えだ」と言い、それを生成文法と言い、全ての人間に共通に備わっているので普遍文法だとした、と言っている。一見、チョムスキーと千葉康則は反対のことを言っているように見えるが、そうでもない。千葉康則は、人間は脳が未熟のまま生まれるとしているが、まっさらとは言っていない。模倣によって文法を習得できる道筋のようなものは想定しているのだろう。ただ、それを文法と言ってしまうのは行き過ぎだと思う。それよりもっと前の段階の、あるいは、そのベースになるものの考え方の自然な流れ、あるいは、絶対論理のようなものがあって、文法はそれに側って出来上がるのだと思う。文法がこの自然法則に側っているので、学んだ文例が充分でなくとも、文法的に正しい文がしゃべれるのである。ただ、この自然法則を文法と限ってしまうのは偏狭な考え方だと思う。また、チョムスキーは文法のみを取り上げているが、言語の発生、言語の本質については、言葉そのものの発生、そして、言葉そのものの本質がより重要だと思う。人間の脳の進化において、人間の発する声音が、警告、注意喚起以外に、モノ、コトを示すことが出来ることの気付きは、一大画期であったと思う。抽象化の始まりであり、言分けの始まりである。犬猫はもちろん、類人猿がものに名があることを理解出来ているかは疑義がある。一見、チンパンジーなどは分かっているようにも見えるが、音声合図の違いとして覚えているのではないだろうか。モノ、コトの名前として応用できるかどうか疑わしい。モノ、コトの言分けは、このように画期的なことなのである。この言葉についての考察なしでの文法のみの議論を言語学とするのは極めておこがましい。普遍文法というよりも、普遍的な脳の思考回路として考察するべきである。その上で、各言語に現れた特徴がおおいに参考にはなるとは思う。ただ、各言語の違いは文法の違いだけではない。例えば、英語と日本語の大きな違いの一つは、情報の伝達を重視する知の言語としての英語と、合わせて情の交換も重視する情の言語としての日本語の違いである。この違いは言葉の音のもつイメージ、すなわち語感というものを考えなければ理解しきれない。語感は文法の問題ではない。言語の違いは文法の違いだけではない。チョムスキーが言語は思考だけのためにあるという様なことを言ったのも、この知のみを絶対視する西洋的ものの考え方の限界ゆえのことなのだろう。なお、東北大学医学部元教授で神経心理学者の山鳥重は「ヒトはなぜことばを使えるか」の中でチョムスキーの生成文法について、「ヒトの認知能力の中で、文法だけに特殊な地位を与えるこの考え方は、生成文法と呼ばれ・・」とした上で、「脳に普遍的な文法構造が内在しているのなら、少し勉強すれば日本人も英米人なみにどんどん英語がしゃべれてもよいはずだが、なかなかそうはいかない。普遍的な能力を所有しているのなら、日本語の文法をあやつれるわけだから、その文法原理を英語のしゃべりに応用できてもよさそうなものではないか」と疑義を呈している。また、山鳥重も言語の本質について、センテンス(文法)よりも言葉をより本質的なものとして重視している。
人類最初の言葉をチョムスキーは原型言語と呼び、真性の言語ではないとしているが、これでは言語の本質についての議論がずれてしまう。人類の最初の言葉は、身体を使ってのジェスチャーに代わるものとして生まれたとの説が有力であるが、私はクーイング、あるいはグルーミング(毛づくろい)からの可能性もあると思っている。ジェスチャーなら情報伝達であるし、クーイング、グルーミングなら気持の共有、すなわち情の相互交換である。ジェスチャーなら指さしから始まったのであろうし、クーイングなら赤子と母親との間の愛情の確認、そしてグルーミングなら集団内の仲間意識の確認のために始まったのであろうが、これらが綯い交ぜになって始まったのではないだろうか。人間は、これらの中から、うめき声ではない、鳴き声でもない、声というものを創り出したのだ。そして、いろいろな声を出すうちに声とモノ、あるいはコトと結び付けられることに気が付いたのだろう。それはチョムスキーのいうmerge(併合)だろうが、これに伴なって概念化ということも覚えたのではないだろうか。モノ・コトをグルーピングして名付ける。抽象化して概念を創る。これらは知能の発達にとって大変な画期であったと思う。そして、それによって思考というものが容易になり、知能の爆発的発達に繋がったのだと思う。なお、英語のthinkは正確には日本語の‘思考’ではない。なぜなら、thinkには‘思う’が入っていないからである。日本語の‘思う’は、無意識層での作業の結果のみが意識の表面に出たもので、インスピレーションとは異なるもので、英語にはその表現がない。日本人はよく「何となくそう思う。そんな気がする」などというが、この表現は英語にならない。
ちなみに、チョムスキーは「言語をコミュニケーションのシステムと見なすのは妥当ではない」とも言っているが、ここでのチョムスキーのコミュニケーションという言葉の理解はおかしい。なぜなら、「講義・講演。授業。ニュース、新聞記事。井戸端会議・おしゃべり。思考。創作(小説、詩など)。独り言。ブログ」をコミュニケーションではないと言っているのである。そして、その理由は、これらが意味ある情報の伝達ではないから、としているのである。なお、講義、講演、授業については、聞く気のない聴衆が理解もせず聞いているだけではコミュニケーションは成立しないとも言っており、結果論でコミュニケーションではないと言い切るのは如何なものかとも思うが、基本的に知の伝達をコミュニケーションとしており、気持の交流をコミュニケーションとは考えていないようである。あるいは、むしろ気持の交流、すなわち情の交換というようなことが念頭にないのだろう。知至上主義の弊害であるばかりではなく、人間理解に根本的な問題があるのではないだろうか。日本人からすれば、井戸端会議的なものは、人間が地域で生きていくための非常に有用なコミュニケーションの場だと思う。チョムスキーは言語のことを議論しているのではなく、文法のみ、あるいはより正確には人間の基本的な思考形式の普遍性を言語の文法の解析を通じて解明しようとしているということに過ぎないのではないだろうか。生きた人間の研究ではなく、論理というものの探究ということではないだろうか。言語は現生人類を人間たらしめている非常に大きな要因である。この言語の本質を解明するためには人間の本性を無視してはならない。知のみの存在ではなく、情も意も併せ持つ人間の本性を無視してはならないと思う。
ここでサピア・ウォーフの仮説にふと思いが至った。言語が文化を規制するというもので、いまだ欧米の学界では認められてはいない。しかし、人間が未熟なまま生れ、生まれ出てから言葉を覚え、それに伴なって、ものの分節化、概念化を覚え、思考も可能になって意識化も起こるのであれば、当然、その仲立ちとなる言語が変われば、それによって行われる意識、思考は変わってくる。現実に言語は、それぞれに大きく違う。例えば、日本語と英語ではいろいろな点で違いがある。それらの違いによって、日本語で育った人と英語で育った人とでは、ものの考え方に本質的違いがあっても不思議ではない。
「万葉のこころ 日本語のこころ」のなかで英語学者で上智大学名誉教授の渡部昇一は、ヴィルヘルム・フォン・フンボルトの言葉「国語というものは一つの世界観である」を引用して、「一つの国語というのは、一つのものの見方である」と言っている。これは、「サクラ」という言葉に日本人が感じるイメージと欧米人が「cherry blossom」という言葉に感じるイメージの違いを説明したところでの発言である。日本人は「サクラ」という言葉に桜の花盛りのイメージと共に舞い散る花びらをイメージし、そのはかなさ、潔さすらを愛でるが、欧米人は「cherry blossom」に一かたまりの花盛りしかイメージしないとして、文化としてのものの感じ方の違いを論じているが、言葉そのものの音のもつイメージの違いにも、それは表れている。「cherry」にはカワイサが感じられるが、「blossom」には一かたまりのボリューム感しか感じられない。一方、「サクラ」の「ラ」には、バラバラ、パラパラ、ハラハラの「ラ」と同じく個別の散ばり感がある。しかして、「サクラ」という言葉自体に散り乱れるイメージがあるのである。なお、渡部昇一は「サクラ」の語源として、古事記に出てくる女神「木花之佐久夜毘売」の「サクヤ」から来ているという説を紹介しているが、私もそうだと思っている。「パッと、先が開く」のが「パナ(花)」で「先が開く」のが「サク(咲く)」である。「ナ」は「菜」で柔らかいもののイメージである。ちなみに、やまと言葉は、古代P音であったものが、F音になり、そして、現在のH音になったと言われている。したがって、「ピカリ」が「ヒカリ」になったように、「パナ」が「ハナ」になったのである。さらに、「花」から「鼻」という言葉もできた。顔の真ん中に咲いているから?! ついでに、他の顔の部分、目、耳、頬、歯も植物からの命名だろう。芽、実、穂、葉。そして、口は「クチャクチャ」からではないかと思う。「クチャクチャ」はもちろん食べ物を食べる音である。そして、口(クチ)から「食う(クウ)」という言葉もできた。口と食う、どちらが先か分からない。しかし、関係があるだろう。「吸う(スウ)」もオノマトペ「チュウチュウ」からできた。まるで冗談のような話である。しかし、いずれにしても証拠はない。ただ、語感からは説明できる。
筆者千葉康則は、動物が本来持っている自他の一体性について、日本人と西洋人とではそのあり様が違うと何度も強調している。すなわち、日本人は自他の区別がはっきりしないが、西洋人は個人主義といわれる人間関係の中で生きている、として、「(西洋人は、)自分と他人を明確に区別して、お互いは契約関係によって結ばれる」、そして、「「イエスかノー」をはっきりさせる言語伝達を重視します」と言っている。そしてその結果、「(西洋人は)みんなが同一の神とつながり、神を媒介として自他一体性を補っている」としているが、これは少し違うと思う。西洋の一神教の神は、他の神を信ずることを厳しく禁じ、信者の個一人一人を直接自分だけと結び付けようとしてきた。結果、人々の横の紐帯が断ち切られたのである。この失われた自他一体性を神が補っているとすれば(実際、そうではあるが)、まさに、一神教のマッチポンプ的御業である。もともと、個に目覚め始めた人々がその様な一神教を採り入れたということなのだろう。そして、この一神教によって、西洋人の個人主義はますます強固になっていった。筆者は「自他分離の人間関係につくりかえるためにはそれなりの教育が必要で、・・・かなり意識的に個人主義を身につけてゆく西洋人に比べれば、日本人のつくられ方はほとんど無意識的です」とも言っているが、西洋においてどのような教育がおこなわれているのだろうか。私は、教育というよりもその社会の文化による規制によって行われているのだと思う。それは、具体的には、一神教たるキリスト教と使用している言語によってだと思う。西洋の言語、特に英語では、IとYouとを使うことが非常に多い。このIとYouとが自他分離の必殺の武器なのである。Iと言って自己を主張し、Youと言って相手を切り離す。それを幼少期から繰り返し行うのである。これこそが強力な教育である。一方、日本では、私、わたし、と言って自己を主張することを下品なこととし嫌い、また、おまえ、あなた、と言って相手を切り離すことを発言者もそれを言われる方も極力避けようとする。そして、このことはすべて無意識的に行われる。これは、文化の違いであり、そしてまた言語の違いである。では、なぜ文化が、そして言語がこのように違ってきたのか。筆者千葉康則は、自己一体が人間の本来のあり方だと言っている。そしてそれは動物がそうだからであるとも言っている。そしてそれ故に、日本文化が、そして日本語が、この点に関しては、西洋文化、英語に比しより本来的なあり方だとしている。この点については全く同感である。ではなぜ、西洋文化が本来的あり方から逸脱してしまったのか。なぜ、個人主義に偏ってしまったのか。ソクラテスが言ったともいわれる「汝自身を知れ」は、デルポイにあるアポロ神殿に掲げられた古代ギリシャの格言である。ここに「汝自身」と切り離す個人主義と、「知れ」という知至上主義の考え方が現れている。これに一神教が合体して今日の西洋思想へとの流れになったのだと思う。一神教も、人間の知の創り上げた神への信仰であり、基本的に個人個人をベースにした宗教であって、個人主義、知至上主義とは相性がいいのだろう。これらの結び付きが自然科学を発展させ、近代社会を作り上げ、現代社会の発展へと導いた。しかし、それもそろそろ限界ではないだろうか。山鳥重も「心(知・情・意)のなかでも、知の領域だけを異常に膨らませつつあるような気がする。情や意を置きざりにして、現代人の心は、いったいどのような方向へ進んでゆくのだろうか?」と言っている。日本人ですら、との思いであろう。
古代の日本文化にくわしい大東文化大学名誉教授の工藤隆は「深層日本論(ヤマト少数民族という視座)」で、現在の日本文化の基層をアニミズム・シャーマニズム・神話世界性とムラ社会性・島国文化性としている。「ものぐさ精神分析」を書いた心理学者の岸田秀は、この基層を内的自己とし、上層を外的自己、すなわち一気に流れ込んできた欧米近代化だとして、その分裂が日本国民を精神分裂病的にした、と言っている。
工藤隆は、この基層のうちムラ社会性、島国文化性が国家存亡の危機にまで瀕した今次大戦の敗戦、そして福島の原発事故をもたらしたとしている。そして、具体的には、それはリアリズムの眼(現実直視の眼)の弱さだとしているが、私は、確かにその様な面もあるが、今次大戦についてはそれでは結果論に過ぎると思うし、東電事故については当時のカリスマ経営者の近視眼的な無責任さに大きな原因があったとも思っている。工藤隆はこれらのマイナス面と共にプラス面もあるとして、プラス面として、自然と共に生きる思想、自然が与えてくれる恩恵に感謝しながら生きる節度ある欲望を挙げている。そして、これらが現代のエコロジー思想に繋がるとして、「日本文化の伝統にはプラス面とマイナス面が同時存在しているのであるから、その両者をバランスよく制御しながら国家を維持していくのがよい」としている。私は、現代の日本人のものの考え方の基層にあるのがアニミズム、シャーマニズムであるとするのには多少違和感を感じる。確かに、自然と共に生きる思想、自然が与えてくれる恩恵に感謝しながら生きる節度ある欲望、は今の日本人にもあると思う。しかし、これがアミニズムだろうか。シャーマニズムに基づくものだろうか。少し違うと思う。また、自然と共に生きる思想、自然が与えてくれる恩恵に感謝しながら生きる節度ある欲望という言い方も厳密には少し違うと思う。この言い方は、自然を自分と対峙するものとしての言い方であって、欧米的思考である。日本人は自分も自然の一部だと感じている。死ねば自然に帰るのは当然と思っている。千葉康則の言う自他一体の感覚はこの辺りに源泉があると思う。では、なぜ日本人は自然と一体であると考えるようになったのか。私は、人間というものが元々そうだったのだと思う。さらに言えば、類人猿も犬も猫もそう思って(感じて)いるのではないかとも思う。千葉康則が「自己一体が人間の本来のあり方・・」「それは動物がそうであるから・・」と言っているのは、このことの一面を言っているのだと思う。この地球上の生物が自らを自然と一体、自然の一部と考え、あるいは感じる方が、自らを自然の外の自然と対決するものと考えるよりも自然だろう。西欧的考え方は不自然である。もっとも、自然であることを善、不自然であることを悪と考えるのは日本的考え方ではあるが、これが生き物としての本来の考え方、感じ方ではないだろうか。なお、西欧的考え方では、人間を生物の一員であると考えること自体にも抵抗があるようである。これは西欧の知至上主義、そしてそれが生み出した一神教にその大元があるのだと思う。なお、西欧の知至上主義は、人間の持つ知・情・意の内の知のみを重視し、情・意を軽視、あるいは無視する行動規範であるが、情意は知に比し人間のより自然な側面である。したがって、情意を無視することは人間の自然性を否定することなのである。人類は、この知によって現代の科学文明を得た。しかし、この生物としての人間の持つ自然の側面を捨ててしまっていいのだろうか。人類は自然と対決し続けていけるのだろうか。人類のこの傲慢を自然はそろそろ許せなくなってきたのではないか。なお、このような考え方をアニミズムというのだろうか。少し違う気がするが、差し当たってよいネーミングが思い付かない。
西欧には「自然へ帰れ」という言い方もある。しかし、そこには個人として、なお自然豊かな森へ帰ろうというニュアンスがある。あくまで個人であり、自然も人間の外の世界として、である。個の殻を破り、自然と一体となるというニュアンスはない。われわれ日本人が「死んで自然に還る」というニュアンスとは違う。
本当に自然へ還ろう。真の人間性を取り戻そう。新しい意味でのルネッサンスが必要なのだ。ものの考え方としてのルネッサンスが必要である。ものの考え方という根本的なところでの変革が必要である。
それには、まず、人間存在としての知と情意のバランスを取り戻す必要がある。では、それにはどうすればよいのか。
先に英語と日本語の違いに触れた。英語はI・Youを多用し、日本語はそれを極力避けることを説明した。これは言葉の運用に関するクセで、文法の問題である。しかし、この問題はチョムスキーの文法問題とは馴染まない。次元を異にしている。英語と日本語の違いはこのような運用上の違いも多々あるが、さらに、より本質的な違いとして、先に触れた語感の問題がある。言葉の音のもつイメージの問題である。それは有無の問題ではなく、感じられているかどうかの問題である。英語では、コミュニケーションはチョムスキーの言うように情報の伝達である。しかし、日本語では、コミュニケーションの役割としては、情報の伝達以外に、あるいはそれ以上に、気持の伝達、心の交流が期待されている。日本語はこの気持の表現が出来るようになっている。言語とはそもそもその様に作られたと思われる。英語も元々はそうだったろう。しかし、今ではその側面が見えにくくなっている。感じにくくなっている。
われわれの祖先の人類は、遠くアフリカの地で、木から降りて草原に出て、二足直立歩行を始めて、両手が使えるようになり、脳が大きくなり、喉が落ち込み口腔が広くなった。両手を使うことによって、並行的に脳が大きくなり、ものを道具として使うようになり、その道具を作るようになり、さらに道具を作るための道具を作るようになった。これが目的と結果という因果関係の理解、すなわち論理思考に繋がり、チョムスキーの言う階層性の理解に繋がったと思われる。そして、口腔が広くなり、脳が大きくなったことによって、舌や口、喉が複雑に動かせるようになり、いろいろな音、声が出せるようになった。母音は、唇、口蓋、舌を使って口腔の形を変え、息をその口腔に流してそこで共鳴させて、いろいろな音として出し分けるものであるが、連続して出すことのできる自然共鳴音で、言葉の基本である。子音は、唇を息で破裂させたり、舌を擦ったり、震わせたりして出す無理音で、より人工的な単音である。この様に口腔をいろいろ動かして発音するので、その動作それぞれに対してそれぞれの感覚が生じる。口を大きく開ければ、開かれた大きさの感じ、口を窄めれば、小さな感じ、唇を破裂させれば、前に広がる勢いの感じなどがする。そもそもはこの感じから言葉が作られたとも思われるが、今では、ソシュールが「意味と音との恣意性」を言うほどにその繋がりは分かりにくくなっている。しかし、日本語には、この語感、すなわち発音した時の体感をベースに出来たと思われる言葉がまだたくさん残っている。日本人は日常、オノマトペをよく使うが、このオノマトペの大半が語感に沿っている。そして、日常会話でよく使われる「ね」「な」「よ」などの助詞、さらに「ねーねー」「そーそー」などの言葉も語感を生かして語感通りに使われている。ただ、この語感を使っている本人、そしてそれを聞いている人も、意識としては感じていない。しかし、意識下では双方が共に感じているのである。そして、気持が通じ合っているのである。語感は通常サブリミナルな状態である。しかし、本来は発音時の体感であるから、意識することによって感じ分けること、すなわちスプラリミナルとすることができる。
では、なぜ英語が語感を失いつつあるのか。それは、英語が母音を軽視しつつあるからではないだろうか。英語がより子音中心の言葉になりつつある。そして、それは英語人が論理的であることを重視するからである。この知への偏重は古代ギリシャに既に始まっているが、近代に入ってより顕著になったのではないだろうか。母音は、共鳴音で連続して発声することのできる自然音で、したがってアナログで、子音は人工的に障害などを作って出す障害音で伸ばして発声することができないデジタル音である。デジタルは厳格な論理を表現するのに適し、アナログは曖昧な心情を表現するのに適する。知至上主義の欧米文化は曖昧な母音を嫌うのではないだろうか。
日本語には気持を直接表す言葉がたくさんある。英語にも気持を直接表す言葉はある。針の先で指を刺してしまった。日本人は‘痛い!’、英語人は‘Ouch!’と思わず叫ぶ。これは気持の直接表現である。風邪をひいて頭が痛い。日本人は「頭が痛い!」と言う。厳密に言えば、「私は、頭が、痛い!」である。英語人は「I ouch.」とは言えない。「I have a head ache.」、あるいは「I feel a pain in the head.」だろう。しかし、これは直接表現ではない。客観視であり、説明である。日本人の実感表明に対し、英語人の客観描写である。
日本語の「かなしい、さびしい、うれしい」も英語では、「I am sad.」、「I feel lonely.」、「I am glad.」となり、いずれも客観描写である。
 「好きやねん」と「I love you.」は本質的に違う。日本語の「好き」は心の状態を表す。英語の「love」は行為を表す。「好き」は、そうなっちゃったという自然の状態であり、「love」は人為、すなわち、どうこうするという作為である。「好き」は情の問題であるが、「love」は知の行為である。英語にも情を表す「like」という表現はある。しかし、「I like you.」とは言いにくい。日本語は心情の吐露をよしとするが、英語は極力客観的な情報の伝達を指向している。あくまで知的であろうとしているのであろう。情の蔑視、知への偏重である。
 「うまい!」も正確には英語にしにくい。何か美味しいものを口にして、思わず出る言葉「うまい!」は、英語では「Good!」だろうか。ただ、これは「Good taste!」、そして正確には、「I’s good taste!」だろうから、やはり説明になっている。日本語の「うまい!」は食ったその物が美味いのであるが、気持としては、美味いというこの感慨を表現しているのであって説明ではない。「おいしい!」になると少し上品になって、説明的になる。「Good!」だけなら「うまい!」に近いが、何でもgoodでは幅が広すぎて幼稚っぽい。やはり英語は感情の直接表現を蔑視しているのである。
 二人で寿司をつまみながら、思わず「うまいなぁ」とつぶやく。これは情報の伝達ではなく、気持の吐露である。そして、相手は「うん」と返す。これは「Yes.」ではなく、言ってみれば「Me too.」である。気持の、そして心の交流なのである。情報の伝達でもなく、自己の主張でもないので、諸外国人のように大声で叫んだりはしない。つぶやくのである。
 渡部昇一は先の「万葉集のこころ 日本語のこころ」のなかで、日本人の古からの言霊信仰、そして、やまとうた、すなわち和歌についていろいろ論じている。言霊信仰とは、言葉に魂が宿っているという信仰で、言葉を唱えることで、願いや思いが実現するというもの。ただし、神に言葉で願うというのではなく、言葉そのものにその力があるとするものである。万物に魂が宿るとするアニミズムの一種だろうが、具体的な形のないものに魂が宿ると考えるかなり高度な思考である。日本人は使い古した針の供養をする。世話になった大工道具の供養もする。針、包丁、鉋、・・などに仲間意識というか、自分の身体の一部のような感覚をもっている。言葉にもそのような、あるいはそれ以上の感覚をもっているのかもしれない。日本人にとって日本語は、情報を伝達するだけのものではなく、むしろそれ以上に自分の気持、心情を表出するものである。そこから言葉に自分自身の気持が宿るという感覚が起こるのではないだろうか。言葉にその言葉の意味以外に、その言葉の音からくるイメージを語感として感じつつ言葉を発しているがゆえに、言葉そのものを自らの気持そのものと感じやすいのではないだろうか。昔の人は今以上に言葉にいろいろなイメージを感じていたのではないだろうか。
 新劇演出家で宮城教育大学教授でもあった竹内敏晴は、著書「声が生まれる―聞く力・話す力―」のなかで、「現代日本語においては子音と母音が同時に発音されるので、ソはソという音があるのだと思い込んでいて、s からo へと移行する発音の仕方があるとは思いもかけなかったのだ。この現代日本語の発音の仕方は江戸時代中期に成立したとされているが、謡はそれ以前の発音によっているわけで・・」「謡の稽古では子音と母音という音素は明確に意識しながら分離して発声し、その上でそれを統合して一つの音節を作り上げねばならない」と言っている。昔の人は音素一つ一つに語感を感じていたのだろう。拍では感じにくいかもしれない。拍では意味に引っ張られやすいかもしれない。音のよく似た言葉の意味につられるかもしれない。現代日本において、一学に秀でた中高年の男性知識人に語感を感じられなくなったと思しき人を屡々見受ける。体は感じてはいるが、それを意識化することができなくなっているのではと思われる。意識は英語ではconscious である。無意識はunconscious である。無意識は意識できない状態である。通常は意識していないが、努力すれば意識化できる状態はsubconscious である。Subliminal はこの状態に当たる。語感はこの状態である。ただ、語感を感じる習慣を失った欧米人にとっては、もはやunconscious なのかもしれない。ただ、英語にも語感の感じられるものが多く残っている。欧米人にもその語感を感じ、味わっている人もいるのではないだろうか。ドイツの詩人ヘルマン・ヘッセは「幸福論」のなかで、幸福(Gl ű ck)ということばについて、「この語は、短いにもかかわらず、驚くほど重い充実したもの、黄金を思わせるようなものを持っている、と私は思った。充実し、重みがたっぷりあるばかりではなく、この語にはまさしく光彩もそなわっていた。雲の中の電光のように、短いつづりの中に光彩が宿っていた」とした後で、「溶けるようにほほえむようにGl と始まり、ű で笑いながら短く休止し、ck できっぱりと簡潔に終わった」と言っている。これはまさしく語感である。ドイツ人の感じた語感である。ドイツ語と日本語ではその発音法が異なる。しかし、G に充実した重みを感じたり、l に光を感じ、ck にキレを感じるのは同じである。ただ、ű は日本語にはないが笑い声に関係があるのかもしれない。日本語なら含み笑いかもしれない。ただ、黄金としたのはGold からの連想かもしれない。
 渡部昇一は、日本人は古の万葉の時代から、和歌を大切にしてきたと言う。私は、日本人は和歌を芸術としてではなく、日常の心のうちの表出として重用してきたのだと思う。これは、「深層日本論」の工藤隆によると、ペー族など現中国周辺の少数民族に今も伝わる歌垣に連なるものだと言う。歌垣とは、男女が歌で互いの気持を伝え合うものであるが、万葉集の歌の大半も恋愛歌だという。ちなみに、工藤隆は日本文化の深層を、万葉集、白木高床式の伊勢神宮、そして、宮中に残る大嘗祭(新嘗祭)に窺い知ることができるとしている。さらに、渡部昇一は、「日本の和歌や俳句は何よりも「理」を嫌う」と言っている。また、「理屈が通っていること、論理的構造がはっきりしている詩を嫌う、あるいは軽蔑する」とも言っている。知への偏重を嫌うということだろう。さらに渡部昇一は衣通姫の歌について、「こんにちの立場から見れば、その作者を和歌の神様に祀り上げるほどの名歌であるとも思われない」として、「われわれの先祖は、われわれとは違う文学批評の原理を持っていたのであろうか」と言っている。衣通姫の代表作は、
   わが夫子が 来べき宵なり ささがねの 蜘蛛の行い 今宵しるしも
である。
そして、昔の人の和歌の評価を言霊信仰と結び付け、「いい歌とは、その結果がよかったという歌になる」としているが、これは少し違うと思う。そもそも、昔の人は芸術として和歌を詠ったのではなく、生活そのものの中で歌い出されたものであろうし、結果云々というのは今日的判断でシャーマニズム的に見ているからで、私は、評価は、心、すなわち気持が歌い切れているかどうかだと思う。古の歌垣は声に出して歌うものであった。やはり和歌も基本的には声に出して歌うものであったと思う。表面の意味以上に音によって直接心に伝わるものであったと思う。そして、その大本は語感にあるのではないかと思っている。古の日本人は、書き言葉よりも話し言葉が中心であっただけに、今のわれわれに比べて、格段に、言葉の音に敏感であったと思われる。有声子音に濁音という名称を与えたのも日本人である。諸外国の言葉に濁音に相当する表現はない。有声子音に濁った、汚れたと感じるのは日本人ならではの感性である。
 さらに、渡部昇一は、万葉集以来の和歌は日本人の心を表しているとも言う。そして、よい歌は大和言葉だけで作られており、外来の漢語は一切使われていないと言う。大陸からの文字伝来以来、大量の漢語が流入した。それをそのまま音読みとして利用した。一方、同じ概念の大和言葉を当てて訓読みとしても利用した。したがって、同じ概念を表すとしても、音読みのものは漢語であり、訓読みのものは大和言葉である。そして、この音読みの言葉、すなわち漢語は和歌では一切使われていないのだそうだ。これが、和歌が日本人の心だと言われる所以なのだろう。では、漢語と大和言葉の何が違うのか。そもそも、中国で生まれたか、我が国で生まれたか、その出生が違うが、それ故か、大和言葉は基本的に語感に添っているが、漢語は必ずしも語感に添っていない。すなわち、漢語は意味と音とが恣意的である。ソシュール的なのである。したがって、日本人にとって素直な語感を持っていない漢語では、心を伝えにくいのである。もちろん、漢語にも語感に添っているものはある。そもそも、漢語の音は中国語の音そのものではない。日本語での音読みの呉音、漢音は当時の現地での音を日本人が日本語の音で聞き為したものであるから、必ずしも、中国語の中国語としての語感を反映し切れているとは言い難い。まして、中国語には四声という独特の発声法があり、むしろここに気持が現れやすい。現在日本で使われている漢語には、意味と語感がかけ離れたものがある。例えば、「美人」の意味と読みの音「ビジン」のもつイメージは全くそぐわない。女の子の名前にその意味ゆえに「美」という漢字はよく使われるが、けっして「ビ」とは読ませない。美智子、美香、真由美のように「ミ」と読ませる。また、陶器と磁器もどちらが固いか。語感とは正反対のようである。面白いのは「遠慮」という言葉。遠慮は、元々は深謀遠慮からきた漢語である。われわれは「遠慮します」という風に使う。しかし、この使い方は漢語としてはない。「遠慮」の「エ」という音に、抑えて下がるイメージがあるために今のように使われるようになったと思われる。したがって、深謀遠慮は漢語だが、「遠慮します」の遠慮は和語ということになるのかもしれない。
 また、漢語は新しい概念を表す言葉として導入されたということもあって、大和言葉に比べて固いという印象が強い。意味的にもそうであるが、音的にも固い印象のものが多い。漢詩は固くて当然であるが、やはり和歌はやわらかでなければならない。それが和歌なのである。ここにも、知と情・心の対立があって、やはり日本文化では、知は目立ってはいけないのである。心が大切なのである。
 渡部昇一はドイツのフィヒテの有名な演説「国民に告ぐ」の中の言葉、「生ける言語」「死する言語」を取り上げ、日本語では大和言葉が「生ける言語」で漢語が「死せる言語」にあたるとしている。当時のドイツ語には、ゲルマン由来の言語とイタリア、フランス系の新ラテン語が混在していたが、フィヒテはゲルマン由来の言葉を「生ける言語」、そして新ラテン語を「死せる言語」と呼んだ。それは、当時のドイツ人にとって、ゲルマン民族由来の言葉は、いきいきと分かる、すなわち、単語の要素のすみずみまでその国民の直感的理解が行き渡っているが、イタリア、フランス由来の新ラテン語は、語の要素に直感的理解が及ばないからだ、としている。そして、大和言葉では、「やか」を付けて、軽やか、穏やか、とすれば、「そのような感じがする」という意味合いが出るし、「もの」を付けて、もの悲しい、もの足らない、とすると、「理由は分からないが何となくそんな感じがする」、というニュアンスが伝わる。「げ」を付けて、悲しげ、さびしげ、とすると、「そのような様子」という意味合いになる。また、「さ」を付けて、軽さ、さびしさ、悲しさ、とすると、名詞になる。このように、大和言葉では部品を付け加えることによって、微妙なニュアンスを出すことが出来るが、漢語ではそうはいかない。新たな言葉を持ってこなければならない。これが、生ける言語と死せる言語の違いだと言うのである。そして、これが言霊のある言葉とそうでない言葉との差だとも言っている。では、なぜ「やか」「もの」「げ」「さ」を付ければ、そのようになるのか。それが大和言葉の約束事だからである。しかし、その約束事の裏には、その約束事が約束事として皆に受け入れられたという事実がある。それではどうして皆に受け入れられたのか。それは語感である。それぞれの言葉のもつ語感に納得性があったからである。聞いた人に話し手の表現したいニュアンスが伝わりやすかったから、その語法が広まったのである。渡部昇一の言う言霊の正体は語感であった。しかし、語感が言霊であるということではない。言葉に語感を感じ合えるということが、言葉に言霊が宿ると信じることの基盤をなしているということである。渡部昇一は、薄々は感じてはおられたが、語感の存在には気付いておられなかった。語感の働き、そして語感が発音体感に基づくものであることを知らなかった。従来、日本文学を研究する多くの学者が、言葉が意味以上の何らかの働きを持っていることには気付いてきた。鎌倉時代の僧仙覚、江戸時代の賀茂真淵、本居宣長、鈴木朖、そして近代に入って、幸田露伴が音象徴についていろいろ論じている。しかし、音象徴論は音が意味を持つと短絡したため、反証として例外をもって論難されたため、いかがわしいものとして敬遠され続け、今日に至っている。言葉の音そのものが意味を持っているわけではなく、それぞれの言葉の音がそれぞれ何らかのイメージを持っていること、そしてそれが発音時の口腔体感に基づいていることを、古代ギリシャの哲学者ソクラテスが「クラテュロス」の中でそれらしきことを言い、近年、脳科学者で文筆家の黒川伊保子が再発見し、サブリミナル・インプレッションと名付けた。私は、これこそが本当の意味での語感だと思っている。
私は、言葉の音の音素、あるいは音韻一つ一つが持っているイメージを言音感と呼び、一つの言葉としてのイメージを語音感と呼び、あわせて語感と呼んでいる。一つの言葉を構成する一連の言音感が纏まって新たな語音感を作り出すのである。一つ一つの音の語感が纏まって一つの言葉の語感を作り出すのである。言葉が連なって文章になれば文章としての語感も生まれる。ただ、文章全体ではごちゃごちゃになってしまうので、語感の流れとして個別に受け止めた方が理解しやすい。もちろん、語感は意味ではないので、複数のイメージの重なりとして理解する必要がある。時には一つの言葉が相矛盾したイメージを持つこともあり得る。子音Yは半母音といい、YAは母音IからAへの変化を一音で発声するものであるが、Iには小さく纏まり集中した感じがあり、反対に、Aには全体に広がるイメージがあるため、一音としての /ヤ/ には、(集中から解放への)脱力感、あるいは、(その結果としての)柔らかさ、優しさ、さらには、(その過程の)妖しさ、などが感じられるのである。日本語ではこれらのイメージの一部を使って具体的な言葉が作られているが、その他のイメージもその言葉のニュアンスとして生き続ける。音素の持つイメージ、拍の持つイメージ、そして一つの言葉としてのイメージが重層的に感じられ、時に応じ、場に応じ、他の言葉との関連に応じて、重層的イメージの一部が選択的に強く感じられる。
例えば、一つの同じオノマトペが、全く異なる状況で使われることがある。オノマトペ「コンコン」は、擬音語として「コンコンと咳をする」、擬態語として「雪がコンコンと降る」、そして、擬情語として「コンコンと言い聞かせる」などと使われる。状況は全く異なる。「コンコン」が形容しているものも全く異なる。ただ、それぞれ使われている「コンコン」のイメージの底流で同じようなものが感じられる。なお、厳密に言うと、人は実際には「コンコン」という音を出して咳をしているわけではない。「コホコホ」「ゴホンゴホン」でもない。実際の生理音を言葉の音として聞き為したのが「コンコン」であり、「ゴホンゴホン」なのである。これらは語感を裏付けに作られたものなのである。
 このように、語感の正体が発音体感であることが明らかになった以上、言語学者はいわゆる音象徴の存在を認め、言語研究の正道に戻って欲しいと思う。一応音象徴を認めているオノマトペ研究者も、音そのものの分析にうつつを抜かしたり、安易に共感覚的ブートストラッピング説(V・S・ラマチャンドラン)などに惑わかされることなく、日本人の感性を生かして、素直に研究を進めて欲しいと思う。拍方式を採り、母音を残し、素直に語感の感じやすい日本語を母語とする日本人は、語感の、そして言語そのものの研究において、非常に有利な立場に立っている。ぜひこの有利性を生かして、言語の、そして人間そのものの解明に貢献して欲しいと思う。
ちなみに、九州大学名誉教授の西原忠毅は、英単語の中にも語感が生きているものが多数残っていることを「音声と意味(A Study of the Expressiveness of Word-Sound in Modern English)」の中で例示している。英語学、音響学の専門家である西原博士は、日本の短歌にも造詣が深く、「日本語の音感―短歌を素材として―」も著しておられ、語感の存在も十分分かっておられた。語感が、現代英語にまでこれ程残っているとすると、言語の研究に語感の研究の必要性、重要度がますます高まったと言えると思う。なお、音象徴に関する書籍として、プログラマーで言語学者であるMargaret Magnus の書いた「Gods of the Word」があるが、そのサブタイトルArchetypes in the Consonants に見えるように子音の音象徴についてのみの考察である。母音のもつ音象徴に気付いていないのか、母音の音象徴を掴み切れなかったのであろう。子音はデジタルで物理的。母音はアナログで生理的。それ故に情緒的な母音を無視したのかもしれない。ここにも、欧米社会の知・論理の偏重、そして、母音から子音への偏向が覗える。
この母音にからんで、日本語と他言語の違いとして、虫の声を左脳で聞くか右脳で聞くかという、東京医科歯科大学名誉教授角田忠信の研究がある。「日本人の脳」によると、日本語で育った人は、虫の音を声として言語脳で聞くが、日本語及びポリネシア語以外で育った人は、雑音と同じく音楽脳で聞くのだと言う。角田忠信によると、虫の音は母音に構造が似ていて、単母音を意味ある言葉として聞く日本語人は、虫の音も声として聞いてしまうのだと言う。私も成程とは思うが、その証明方法が特殊で技術を要するため、一般には認められてはおらず仮説に止まっている。聞いた時に右脳左脳、いずれが活性化するか、今の技術をもってすれば、例えばMRIなどで立証できるのではないかと思うが、何かむつかしい問題があるのか未だ立証されてはいない。いずれ証明されるのではと期待している。もし、この仮説が証明されれば、自然界の虫の音すら人間の言葉と同じ声として聞いてしまうということで、日本語で育った人の自然との近さのさらなる証拠になると思う。
仮説の私の説明としては、日本語でも単母音は意味を持ちにくいが、語感は必ず持っているので、日本語人は単母音にも語感を感じ取ろうとするのではないだろうか。虫の声は本来は意味を持っていないが、語感から意味を感じ取ろうとしてしまうのではないだろうか。ちなみに、語感そのものもAI機器によって、いずれ可視化出来るのではないかと期待している。ただ、感覚は多重的であるため分離が非常にむつかしい。傾向位は出せるようになるのではないだろうか。
 黒川伊保子は語感をサブリミナル・インプレッションと名付けた。私は、現象としてはそうだが、impression とすると、音そのものに実体のようなものを想定しているように感じられ、聞こえのように捉えられかねないと危惧する。従来の音象徴(Sound Symbolism)も誤解を含めた歴史の手あかにまみれており、Symbol と見なすことは、音そのものを確たる実在と想定しており、やはり誤解の種を残すと思う。そこで私としては、主体としての発音体感であることを強調する意味を込めて、Sensory Image of Word-Soundとしてはどうかと思っている。英語としては、Sensory Image of the Word でいいのかもしれない。
 今、世界を支配している西欧文明の考え方が、知至上主義に偏向し、自他一体感を失い、人間が人間でなくなりつつある一方、自然との一体感を失い、自然と対決する姿勢を取り続けた結果、地球の温暖化が進み、プラスチック塵による環境汚染も進み、地球上での人類の生存が脅かされ始めた。加えて、AI技術が急速に発展、人間とAIとの一体化まで想起されるに至っている。このままでは、人間が人間ではなくなる恐れさえある。今ここで、改め人間の本来のあり方に立ち帰らなければならないと思う。西欧文明の知至上主義、自然との対決主義を改め、人間の中の自然性、すなわち情意の再評価、そして、知と情のバランスを回復し、合わせて自然との一体感を取り戻し、地球、そして地球環境との共生を図る道に立ち帰らなければならない。そのためには、日本的ものの考え方が役立つと思う。日本的考え方をベースにした新しい哲学を創り上げ、世界に提示しなければならない。
 日本的ものの考え方を、世界に知ってもらうため、もっと積極的に提示していく必要がある。マンガ、アニメがその先陣かもしれない。文学も、欧米的ものの考え方と日本的ものの考え方の葛藤を本格的に提示して欲しい。カズオ・イシグロはほのめかしてはいるが、それがテーマにまではなっていない。夏目漱石を欧米的視点から徹底的に追及してみるのも面白いかもしれない。従来の欧米文化に対するコンプレックスで済ませるのでは勿体ない。漱石は知情意の存在を明らかにし、その対立に踏み込んでいる。アンコンシャスの存在も取り上げている。西欧文明を再構築する視点から漱石の文学を利用してみてはと思う。語感の海外での理解はなかなか難しいと思う。オノマトペ並びにオノマトペ的言葉の輸出から始めるべきかもしれない。マンガ・アニメでも広まりつつはあるが、オノマトペの一般化はまだまだである。医療現場で使ってもらうのはどうだろう。痛さを微妙に表現するオノマトペを覚えてもらう。ピリピリ、チクチク、ズキズキ、ジンジン、キリキリ、ガンガン、ズキンズキン。欧米的表現を作ってもらってもいいと思う。俳句、和歌の英語化の試みもなされているが、そのまま外国語では、語感を伝えるのは無理だろう。翻訳俳句、翻訳和歌は本来の俳句、和歌とは別物と考えるべきである。
マンガで語感の入門書、解説書、そしてその英語版が書けないものかとも思っている。夢かもしれない。真夏の夜の夢・・
    (令和元年7月7日)

   花と鼻は、どちらが先か  

人間の鼻という言葉と野山に咲く花という言葉とは音は同じであるが、どちらが先に出来た表現だろうか。
語感的にいえば、花である。
H音は古くはP音であったといわれているので、「花(HaNa)」は「PaNa」であった。
P音は破裂音、母音Aには広がるイメージがあるので、花が咲くのを「Paッ」と感じるのは今も同じである。人間の鼻は「Pa・ANa」とも考えられるが、タバコを吸っていた時代なら分からぬでもないが、太古の昔なら、顔の真ん中に堂々と鎮座するものとして花と例えたとする方が無理がないのではないだろうか。
花が先だとすると、「HaNa」の「Na」は何だろうか。「菜(Na)」とも考えられる。それでは、どうして菜は「Na」なのか。「Pa(葉)」のうち柔らかくて優しいものが「菜」だったのではないだろうか。「葉」もパッと出てくるものからの名付けであろうから、「花(PaNa)」は「葉菜」になってしまう。しかし、概念的には、葉>菜>花 となるので、「葉菜」は「菜っ葉」で、「花菜」が「花」となったのであろう。
目はナゼ「Me」なのか。古くは「Ma」であったともいう。
M音は内から盛り上がる感じ、口に一旦息を溜めるため、あふれるイメージが出るのである。「Ma」は丸く大きな感じ。「Me」はそれが上から押し付けられた感じで、横長な「目(Me)」の感じだろう。縄文人は目が丸く、「Ma」であったものが、切れ長な目の弥生人が入ってきて、「Me」になったのかもしれない。
横長が「e」であるが、これが「i」になると縦長になる。だから「Mi」は「実」なのである。実は丸いものだから、「Ma」でもよかったのだろうが、太古の人々は「i」に命を感じており、大切なものに「i」を付けたようだ。(例えば、Ki=気、木、Ti=血、乳、Si=水、Ni=土、丹、Pi=火、日、I=意、居、そして、IKi(息)、IKiRu(生きる)、INoTi(命))
そして、耳は「実・実」。素直に実が二つ成っているイメージである。
頬は「穂・穂」。「穂(Ho)」も「Po」で、ポッと出たもの。「Pa」に比べてまとまったものの感じである。
歯は「葉っぱ」からだろう。
口(KuCHi)は「食う(KuU)」からだろう。「KuU」は「クチャクチャ」と食べる音から。ちなみに、「吸う」は「チューチュー」吸う音から出来たと思われる(昔の発音は「クチャネ、クチャネ(食べては寝る)」的だったのかもしれない。今でも、幼児は吸うことをチュウと発音する)。
「KuCHi」は「KuU・UCHi」で、「UCHi」は「内」、すなわち、中へというイメージだったのだろう。母音Uには内的なイメージがある。「CHi」には、アッチコッチの「チ」と同じ使い方で、「Ti」の指し示すイメージから来たものと思われる(道の「CHi」もそうかもしれない。東、西、岸の「Si」とも近いかもしれない)。
頭は、A+TaMa 。「A」は自分自身、あるいは、存在そのもの。「TaMa」は Ta+Ma。玉、あるいは、魂。大切なものがいっぱい詰まった丸いもののイメージである。「Ta」には溜まるイメージと表面的には硬いイメージがある。
手(Te)は「Ta」から。「Ta」は「叩く(TaTaKu)」から(手で叩くから)。「TaTaKu」はオノマトペ「タ・タ・タ」、あるいは、「タンタンタン」からだろう(「戦い(TaTaKaI)」も「叩き合い」からと思われる)。
「Ta」が「Te」になったのは、母音Eに、くっついて長く繋がったもののイメージがあるからで、他にも、「毛(Ke)」、「根(Ne)」などに同じ意味合いで使われている。この「根」は「胸(MuNe)」、「脛(SuNe)」、「骨(HoNe)」とも関係があるのではないだろうか。
胸は棟、「畑のむね」からだろう。
背中は瀬。水の流れる狭いところ。
腹は原、原っぱ。平で開けたところ。元々は「PaRa」だった。すなわち、パッと開けたところ。
項(UNaDi)は「頷く(UNaDuKu)」から、「UNaDuKu」は「うん(UNN)」から。
「うん」は感嘆詞の一種で、完了のイメージから了解のイメージとなったのだろう。
ちなみに、同じ「うん」を尻上がりに発音すると疑いのイメージが出てくる。母音Uには、疑い、伺い、のイメージがあり、ウッとつまれば内向きの内向するイメージが強くなる。
我々日本人は、これらの微妙なニュアンスの違いを発音し分け、聞き分け、使い分けているのである。語感を縦横に使い分けているのである(ただ、それを意識に乗せることがむつかしいのである)。
その他はよく分からないが、
首は「くびる」からだろう。ただ、どうして「くびる」というかが分からない。「Ku」は「くねくね」、「くねる」、「クルクル」、「くり抜く」、「くぼみ」などの「Ku」ともベースとして共通のイメージを持っているように思われる。
「Ku」の発声には喉の奥を締め付けて無理に息を出すような感じがあるため、「Ku」には締め付けるとか、苦しいのイメージが出てくるからかもしれない。
足(ASHi)もよく分からない。「ASHi」の「A」は「頭(ATaMa)」、「顎(AGo)」の「A」と同じなのだろうか。「SHi」は「下(SHiTa)」、「下(SHiMo)」と関連があるのだろうか。「SHiTa」、「SHiMo」は「水=SHi」から出来た言葉だと思われる(水は下に流れる)。
舌はナゼ「SHiTa」なのだろう。口の中の下の方にあるからだろうか(単純すぎる? でも意外とそうかもしれない)。
お尻の「SHi」も「下」のイメージから来たのかもしれない。
「ビリッ尻(けつ)」という言い方がある。「ドン尻」という言い方もある。「SHiRi」が「ZiRi」は分かるが、「BiRi」にも成り得るのだろうか。
おでこは、「デコボコ」の「デコ」。出たところなのだろう。しかし、出る(DeRu)がナゼ「De」なのか、分からない。へこむ(HeKoMu)は「ペコっとへこむ」の「PeKo」が「Heko」になったもの。「BoKo」は「PoKo」が濁ったもの。ポコッと減っ込むの「PoKo」。
おへその「He」もこれだろう。元々は「PeSo」。
「おなら」という意味の「へ(He)」は、実際の音としては「Pu」、あるいは、「Bu」だろう。それが、どうして「He」になったか。「He」は元々は「Pe」。「Pu」の母音Uが母音Eに変わったのは、Eの持つ、水気、粘り気から生理を連想させ、日本人は昔からE音に下品さを感じるクセがあったからかと思われる。なお、「おなら」は「鳴る」と上品に言ったものだろう。
そうなると、「おへそ」の「So」が分からない。「ここ、そこ」の「そ」か。中心である「ここ」に対して少し外れた「そこ」なのかもしれない。
また、「底(SoKo)」という言葉も同じように出来たのかもしれない(重いと沈むから底への連想になったのかもしれない)。
面(OMo)は「主」かもしれない。「主(OMo)」は、重い(重要な)からの表現だろう(「思い」も関係があるかもしれない。「OMoう」、「KoKoRo」にも重いイメージの母音Oが多く使われている)。
古代の人々にとっては、おへそが中心なのではなく、頭、顔(面)が重要だったのだろう(顔がナゼ「KaO」なのか、語感からは見当がつかない。「KaNNBaSe」にしてもよく分からない。「ツラ(TuRa)」であれば「面々」のことだろうか、連なるイメージからかもしれない)。
語感からだけではよく分からない言葉も、まだ、たくさんあるようだ。
  (平成24年9月12日)

   音韻遊び( こえ+おと=こと(言))  

   音韻遊び(2)  

今ある言葉を音韻で繋いでみた。言葉の出来方にはいろいろあるであろうから、いわゆる結果論ではあるが、これらの繋がりの中に日本語の真実が隠されているかもしれない。

口腔内の調音点の位置関係から出来たと思われる、此処(KoKo),其処(SoKo),彼処(ASoKo)の Ko を始めとするものと、
胸の動悸の擬音語、ト・ト・ト(ToToTo)を始めとするものから、

此    来い    声     乞う    恋
Ko → KoI → KoE → KoU → KoI
            ↓
 OTo(音) ←→ KoTo(言 → 事)
  ↑
  ↑   → →  ToKi(時)
  ↑         ↓↑
ToToTo → ToKiToKi → DoKiDoKi(ドキドキ)
 ト・ト・ト     ↓         ↓
        ToKiMeKi    Do―Ki
          トキメキ       動悸

以上のような繋がりが見える。
ただ、OTo から KoTo が出来たのか、KoTo から OTo が出来たのかは分からない。
KoTo(言)から、K(形 ― KaTaChi)のないものを OTo(音)としたのかもしれない。
言と事との関係は、古代の人々の言葉の力に対する信頼、あるいは、信仰から来たものであろう。
結局、これらの言葉も‘語感’繋がりで出来たのかもしれない。
なお、「ここ、ここ」と言うことが「来い」を意味し、それが呼び声の始まりであったかもしれない。あるいは、声は‘乞う’ことから始まったのかもしれない。いずれにしても、これらは音の上でも繋がっている。
古代人も音に時間の流れを感じていたのだろう。また、胸の動悸に時の刻みを感じていたのだろう。
( ToKi の /Ki/ は‘切れ’を強く感じさせる。)
KoTo と ToKi が似ているのは偶然だろうか。
           (平成22年11月5日)

   音韻遊び(1)  

日本語の最初の言葉は、‘ア’であった、というのは、理論上最も素直な考え方である。
音韻‘A’からどのように言葉が広がっていくか。
同類の単母音への広がりは、

絶対的存在としての A に対し、
O,     I,   U,    E
個別的存在感、意思、内からの動き、繋がり・遠慮

へと広がっていった。
子音が付いて、一拍としての広がり、

A, Wa,Na,Ka,Ta,Pa,Ma,Sa
吾、 我、 汝、 彼、 誰、 葉、 真、 些(小)

A の否定として、N が付いて

N+A → Na → NaI(ナイ)

A に拍が付いて分節、そのまま動詞化

ARu(アル)

他の動詞への広がり、

AKu(開く)→ AKaRuI(明るい)→ AKa(赤)→ AKi(秋)

名詞へ、

AMa(天、海)→ AMe(雨)

存在としての A に対し、動きとして

Su → SuRu

Su はスムーズな動きを表わすオノマトペ‘スルスル’(SuRuSuRu)と同根であろう。

A の対極は、Na であり、Su である。(U かも)
このように見てくると、現在の日本語の骨格をなしている‘アル’、‘ナイ’、‘スル’も、根源的なところで出来てきたことが分かる。
       (平成22年11月5日)

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