新しい言語学

音韻遊び

   花と鼻は、どちらが先か  

人間の鼻という言葉と野山に咲く花という言葉とは音は同じであるが、どちらが先に出来た表現だろうか。
語感的にいえば、花である。
H音は古くはP音であったといわれているので、「花(HaNa)」は「PaNa」であった。
P音は破裂音、母音Aには広がるイメージがあるので、花が咲くのを「Paッ」と感じるのは今も同じである。人間の鼻は「Pa・ANa」とも考えられるが、タバコを吸っていた時代なら分からぬでもないが、太古の昔なら、顔の真ん中に堂々と鎮座するものとして花と例えたとする方が無理がないのではないだろうか。
花が先だとすると、「HaNa」の「Na」は何だろうか。「菜(Na)」とも考えられる。それでは、どうして菜は「Na」なのか。「Pa(葉)」のうち柔らかくて優しいものが「菜」だったのではないだろうか。「葉」もパッと出てくるものからの名付けであろうから、「花(PaNa)」は「葉菜」になってしまう。しかし、概念的には、葉>菜>花 となるので、「葉菜」は「菜っ葉」で、「花菜」が「花」となったのであろう。
目はナゼ「Me」なのか。古くは「Ma」であったともいう。
M音は内から盛り上がる感じ、口に一旦息を溜めるため、あふれるイメージが出るのである。「Ma」は丸く大きな感じ。「Me」はそれが上から押し付けられた感じで、横長な「目(Me)」の感じだろう。縄文人は目が丸く、「Ma」であったものが、切れ長な目の弥生人が入ってきて、「Me」になったのかもしれない。
横長が「e」であるが、これが「i」になると縦長になる。だから「Mi」は「実」なのである。実は丸いものだから、「Ma」でもよかったのだろうが、太古の人々は「i」に命を感じており、大切なものに「i」を付けたようだ。(例えば、Ki=気、木、Ti=血、乳、Si=水、Ni=土、丹、Pi=火、日、I=意、居、そして、IKi(息)、IKiRu(生きる)、INoTi(命))
そして、耳は「実・実」。素直に実が二つ成っているイメージである。
頬は「穂・穂」。「穂(Ho)」も「Po」で、ポッと出たもの。「Pa」に比べてまとまったものの感じである。
歯は「葉っぱ」からだろう。
口(KuCHi)は「食う(KuU)」からだろう。「KuU」は「クチャクチャ」と食べる音から。ちなみに、「吸う」は「チューチュー」吸う音から出来たと思われる(昔の発音は「クチャネ、クチャネ(食べては寝る)」的だったのかもしれない。今でも、幼児は吸うことをチュウと発音する)。
「KuCHi」は「KuU・UCHi」で、「UCHi」は「内」、すなわち、中へというイメージだったのだろう。母音Uには内的なイメージがある。「CHi」には、アッチコッチの「チ」と同じ使い方で、「Ti」の指し示すイメージから来たものと思われる(道の「CHi」もそうかもしれない。東、西、岸の「Si」とも近いかもしれない)。
頭は、A+TaMa 。「A」は自分自身、あるいは、存在そのもの。「TaMa」は Ta+Ma。玉、あるいは、魂。大切なものがいっぱい詰まった丸いもののイメージである。「Ta」には溜まるイメージと表面的には硬いイメージがある。
手(Te)は「Ta」から。「Ta」は「叩く(TaTaKu)」から(手で叩くから)。「TaTaKu」はオノマトペ「タ・タ・タ」、あるいは、「タンタンタン」からだろう(「戦い(TaTaKaI)」も「叩き合い」からと思われる)。
「Ta」が「Te」になったのは、母音Eに、くっついて長く繋がったもののイメージがあるからで、他にも、「毛(Ke)」、「根(Ne)」などに同じ意味合いで使われている。この「根」は「胸(MuNe)」、「脛(SuNe)」、「骨(HoNe)」とも関係があるのではないだろうか。
胸は棟、「畑のむね」からだろう。
背中は瀬。水の流れる狭いところ。
腹は原、原っぱ。平で開けたところ。元々は「PaRa」だった。すなわち、パッと開けたところ。
項(UNaDi)は「頷く(UNaDuKu)」から、「UNaDuKu」は「うん(UNN)」から。
「うん」は感嘆詞の一種で、完了のイメージから了解のイメージとなったのだろう。
ちなみに、同じ「うん」を尻上がりに発音すると疑いのイメージが出てくる。母音Uには、疑い、伺い、のイメージがあり、ウッとつまれば内向きの内向するイメージが強くなる。
我々日本人は、これらの微妙なニュアンスの違いを発音し分け、聞き分け、使い分けているのである。語感を縦横に使い分けているのである(ただ、それを意識に乗せることがむつかしいのである)。
その他はよく分からないが、
首は「くびる」からだろう。ただ、どうして「くびる」というかが分からない。「Ku」は「くねくね」、「くねる」、「クルクル」、「くり抜く」、「くぼみ」などの「Ku」ともベースとして共通のイメージを持っているように思われる。
「Ku」の発声には喉の奥を締め付けて無理に息を出すような感じがあるため、「Ku」には締め付けるとか、苦しいのイメージが出てくるからかもしれない。
足(ASHi)もよく分からない。「ASHi」の「A」は「頭(ATaMa)」、「顎(AGo)」の「A」と同じなのだろうか。「SHi」は「下(SHiTa)」、「下(SHiMo)」と関連があるのだろうか。「SHiTa」、「SHiMo」は「水=SHi」から出来た言葉だと思われる(水は下に流れる)。
舌はナゼ「SHiTa」なのだろう。口の中の下の方にあるからだろうか(単純すぎる? でも意外とそうかもしれない)。
お尻の「SHi」も「下」のイメージから来たのかもしれない。
「ビリッ尻(けつ)」という言い方がある。「ドン尻」という言い方もある。「SHiRi」が「ZiRi」は分かるが、「BiRi」にも成り得るのだろうか。
おでこは、「デコボコ」の「デコ」。出たところなのだろう。しかし、出る(DeRu)がナゼ「De」なのか、分からない。へこむ(HeKoMu)は「ペコっとへこむ」の「PeKo」が「Heko」になったもの。「BoKo」は「PoKo」が濁ったもの。ポコッと減っ込むの「PoKo」。
おへその「He」もこれだろう。元々は「PeSo」。
「おなら」という意味の「へ(He)」は、実際の音としては「Pu」、あるいは、「Bu」だろう。それが、どうして「He」になったか。「He」は元々は「Pe」。「Pu」の母音Uが母音Eに変わったのは、Eの持つ、水気、粘り気から生理を連想させ、日本人は昔からE音に下品さを感じるクセがあったからかと思われる。なお、「おなら」は「鳴る」と上品に言ったものだろう。
そうなると、「おへそ」の「So」が分からない。「ここ、そこ」の「そ」か。中心である「ここ」に対して少し外れた「そこ」なのかもしれない。
また、「底(SoKo)」という言葉も同じように出来たのかもしれない(重いと沈むから底への連想になったのかもしれない)。
面(OMo)は「主」かもしれない。「主(OMo)」は、重い(重要な)からの表現だろう(「思い」も関係があるかもしれない。「OMoう」、「KoKoRo」にも重いイメージの母音Oが多く使われている)。
古代の人々にとっては、おへそが中心なのではなく、頭、顔(面)が重要だったのだろう(顔がナゼ「KaO」なのか、語感からは見当がつかない。「KaNNBaSe」にしてもよく分からない。「ツラ(TuRa)」であれば「面々」のことだろうか、連なるイメージからかもしれない)。
語感からだけではよく分からない言葉も、まだ、たくさんあるようだ。
  (平成24年9月12日)

   音韻遊び( こえ+おと=こと(言))  

   音韻遊び(2)  

今ある言葉を音韻で繋いでみた。言葉の出来方にはいろいろあるであろうから、いわゆる結果論ではあるが、これらの繋がりの中に日本語の真実が隠されているかもしれない。

口腔内の調音点の位置関係から出来たと思われる、此処(KoKo),其処(SoKo),彼処(ASoKo)の Ko を始めとするものと、
胸の動悸の擬音語、ト・ト・ト(ToToTo)を始めとするものから、

此    来い    声     乞う    恋
Ko → KoI → KoE → KoU → KoI
            ↓
 OTo(音) ←→ KoTo(言 → 事)
  ↑
  ↑   → →  ToKi(時)
  ↑         ↓↑
ToToTo → ToKiToKi → DoKiDoKi(ドキドキ)
 ト・ト・ト     ↓         ↓
        ToKiMeKi    Do―Ki
          トキメキ       動悸

以上のような繋がりが見える。
ただ、OTo から KoTo が出来たのか、KoTo から OTo が出来たのかは分からない。
KoTo(言)から、K(形 ― KaTaChi)のないものを OTo(音)としたのかもしれない。
言と事との関係は、古代の人々の言葉の力に対する信頼、あるいは、信仰から来たものであろう。
結局、これらの言葉も‘語感’繋がりで出来たのかもしれない。
なお、「ここ、ここ」と言うことが「来い」を意味し、それが呼び声の始まりであったかもしれない。あるいは、声は‘乞う’ことから始まったのかもしれない。いずれにしても、これらは音の上でも繋がっている。
古代人も音に時間の流れを感じていたのだろう。また、胸の動悸に時の刻みを感じていたのだろう。
( ToKi の /Ki/ は‘切れ’を強く感じさせる。)
KoTo と ToKi が似ているのは偶然だろうか。
           (平成22年11月5日)

   音韻遊び(1)  

日本語の最初の言葉は、‘ア’であった、というのは、理論上最も素直な考え方である。
音韻‘A’からどのように言葉が広がっていくか。
同類の単母音への広がりは、

絶対的存在としての A に対し、
O,     I,   U,    E
個別的存在感、意思、内からの動き、繋がり・遠慮

へと広がっていった。
子音が付いて、一拍としての広がり、

A, Wa,Na,Ka,Ta,Pa,Ma,Sa
吾、 我、 汝、 彼、 誰、 葉、 真、 些(小)

A の否定として、N が付いて

N+A → Na → NaI(ナイ)

A に拍が付いて分節、そのまま動詞化

ARu(アル)

他の動詞への広がり、

AKu(開く)→ AKaRuI(明るい)→ AKa(赤)→ AKi(秋)

名詞へ、

AMa(天、海)→ AMe(雨)

存在としての A に対し、動きとして

Su → SuRu

Su はスムーズな動きを表わすオノマトペ‘スルスル’(SuRuSuRu)と同根であろう。

A の対極は、Na であり、Su である。(U かも)
このように見てくると、現在の日本語の骨格をなしている‘アル’、‘ナイ’、‘スル’も、根源的なところで出来てきたことが分かる。
       (平成22年11月5日)

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