新しい言語学

デジタル・アナログ

    デジタル・アナログ・概念化  メールへの返事  

遅くなりました。「デジタル・アナログ」についてメールをいただいた増田です。
その後のご研究はいかがですか。
貴兄のメールに触発されて考えたことを書いてみました。

「デジタル的なことしているのは人間だけじゃないのか?」とありますが、勿論、デジタルは人間の頭の中以外には存在しないと思います。

また、「なぜ、人間は概念化をするのでしょうね。」ということですが、概念化は方便だと思います。記憶するための方便だったのではないでしょうか。概念化とは枝葉を切って捨てる単純化だからです。アナログなまま記憶するのは効率が悪いでしょう。要するに、ポイントだけを記憶するということを編み出したのでしょう。
そして、概念化することで言葉が生まれたのではないでしょうか。(逆かな。言葉を発明するということは、概念化するということですからね。)
言葉が生まれて、意識が生まれた(意識の顕在化が可能になった)。
意識出来るようになり、意識的記憶が可能になった。
この記憶の積み重ねが経験です。
無意識の経験もありますね。経験を意識化できることによって、経験の演算が出来るようになったのでしょうね。すなわち、異なる経験を重ね合わせて新しい発想が出るというようなことが可能になったのでしょう。これが思考の始まりでしょうか。無意識層でも思考がないとは言えないので、意識化できるようになって思考の分類・整理がしやすくなり、統合・連結などの細工がしやすくなって、意識としての思考が飛躍的に進化することができるようになったのでしょうね。
そして、経験を利用することが出来るようになって、人類の独自の進化が爆発的に進みだしたのでしょう。
一方、言葉は意識の共有を可能にした。ここに情報というものが生まれた。言葉によって、情報は伝えることも蓄えることも出来るようになった。
そして、個人を離れた(自立した)情報は、集団(社会)内において自己組織化的に成長しだした。これが文化の始まりです。
文化はあくまで個人にベースを置きますが、現象としては、文化はそれ自体として育ち進化するのです。
       (平成24年5月22日)

    デジタル か アナログ か  

 ロボットはデジタルで、人間はアナログだという言い方をすることがある。
 このときのデジタル・アナログは、どちらがよりデジタル的かアナログ的かを言っているわけで、人間が絶対的にアナログとは言い切れないし、ロボットが絶対的にデジタルとも言い切れない。

 ロボットも、その動きがスムースなことが望ましく、これはアナログを指向していることになる。
 人間も解剖学的には60兆の細胞のカタマリであり、個々の細胞の集まりという意味ではデジタル的である。そして、細胞も物質である以上分子の集まりであり、これは原子と電子から出来ている。これらはいずれもデジタル的である。ただ、素粒子となると、存在そのものが不確定でありアナログ的である。

  究極のアナログ      自然は究極のアナログである  

 この世の大元になっているといわれるエネルギーと時間は共にアナログである。自然は本質的にアナログということになる。エネルギーと時間、この二つが究極のアナログである。

  究極のデジタル      究極のデジタルは実在ではない  

 それでは究極のデジタルは何か。それは 1・2・3・・・という数字の概念である。この世に 1 という実在はない。あるのは、一つのリンゴ、一人の人間である。点も究極のデジタルである。面積も質量も一切ない点などこの世に実在しない。抽象の究極、概念化の究極がデジタルである。すべて頭の中の観念で実在ではない。

 この究極の自然と究極の観念の間が、アナログからデジタルへの流れで、この両極のどちら寄りにあるかで、アナログ的、あるいはデジタル的と表現している。共にアナログ寄りにあっても、デジタル側にある方をよりデジタルと表現することができる。

  言語は本質的にはデジタルであるといわれる。  

コトバの音の構成要素である ア、イ、ウ、エ、オ、・・ はデジタルである。多少訛った/ア/も、酔っ払って呂律の回らない/ア/も/ア/は/ア/である。
また、言葉、言(こと)の葉(は)とは、事(こと)の一片を切り取った端(は)である言(こと)、という意味であって、デジタル的である。一片を切り取るということは、他を捨てるということで、概念化、抽象化であって、よりデジタルにするということである。

しかし、気持ちを伝えようとするコトバは多義的である。色々なニュアンスをもっており、聞き手もこの色々なニュアンスを感じ分ける。一片の葉ではない。多面的なもの、あるいは、クオリア的なものである。当然アナログ的である。
ア、イ、ウ、エ、オ、・・は記号としてはデジタルである。しかし、ア、イ、・・それぞれの音はそれぞれ色々なイメージをもっており多義的である。コトバの音としてのア、イ、ウ、エ、オ・・は単なる記号ではなく、音それぞれのイメージをもった記号なのである。その様な意味ではアナログ的である。

コトバについてアナログ・デジタルをいうとき、二つの側面がある。

 一つは、コトバを構成する音一つ一つがアナログ的かデジタル的かという側面である。今一つは、コトバそのものがアナログ的かデジタル的かという側面である。

  音のデジタル・アナログ  

 一つ一つの音のデジ・アナについては、母音は子音よりもアナログ的である。そして、母音は情を表現することに適し、子音は絞られた概念を表現するのに適している。しかし、デジタル的な子音の中にも、よりデジタル的なものとアナログ的なものがある。 K は N よりもデジタル的である。

  コトバのデジタル・アナログ  

 コトバにも、アナログ的なコトバとデジタル的なコトバがある。アナログ的なコトバの代表はオノマトペ。そして、日常会話で使われるコトバ、特にニュアンスを含み曖昧な気持ちというものを伝えるコトバがアナログである。感嘆詞、挨拶語、そして、形容詞がアナログ語である。
 デジタル的なコトバの代表は数字。そして、人工的に作られたコトバ、抽象的概念を表わすコトバがデジタル的である。法律用語、学術用語、哲学用語などが典型的デジタル語である。名詞が多い。

そして、アナログ語ほど語感に添っている。

 デジタル語ほど語感と離れる傾向がある。しかし、デジタル語の中にも語感に添ったものも残っている。金・銀の音の違いは、金・銀そのものの違いをよく反映している。(もっとも、元々の漢音、呉音については分からない。)

言語の起源から考えると、グルーミング系のコトバはアナログ的、威嚇系のコトバはデジタル系ということができる。
そして、ソシュールは威嚇系のコトバを言語のあるべき姿と考え、グルーミング系のコトバを曖昧な遅れたコトバとして排除してしまったのかもしれない。
したがって、現在の言語学はコトバをデジタルとしか考えていないのであろうか。

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