新しい言語学

コラム

  語感・雑感     

   「うそ」の語源  嘘のような本当かもしれない話  

まず、‘そうだ’、‘そうそう’などの言葉はどのように出来たか。
‘アレ、コレ、ソレ’の区別が発音の際の調音点の違いによって出来た。すなわち、‘ア、コ、ソ’の‘語感’から出来た。
‘K’の調音点は口腔の一番奥の喉、ここから自らの中心の感覚が出る。母音‘O’には‘語感’としての存在感があり、これらが一つになって、自分の中心が‘Ko’となったと思われる。
‘S’の調音点は舌先から歯、唇にあり、息が外へ流れ出す感覚があり、‘So’には離れたものの感覚が出る。
母音‘A’の発声は、口を大きく開けて息を外に拡散させるようにするので、大きな広がりの感覚が生じる。
ここから、‘Ko’が‘ここ’を指すようになり、‘So’が‘そこ’、そして、‘A’が‘あそこ’を指すようになったと思われる。そして、その比喩として、‘ああして、こうして、そうして’が出来、この‘そうして’から‘そうそう’、‘そうだ’の表現が出来たのだと思われる。
一方、生理音に近い、少し内にこもる‘ウッ’という音から、‘うたがう’、‘うかがう’などの言葉が出来たが、この‘疑う’の‘ウ’、あるいは、‘ウッ’と‘そう’がいっしょになって、‘そうだ’を疑う表現、‘うそう’、あるいは、‘うっそう’が出来たのだと思う。
以上は、‘語感’のみからの推論であるが、案外当たっているかもしれない。

ちなみに、‘ウー’からは、‘唸る’、‘呻く’、‘ウン’からは、‘頷く’、そして、‘うなじ’の表現が出来たと思われる。
また、‘産む’、‘歌う’なども生理音‘ウ’と関係があると思われる。

   ‘どうぞ’、‘どうも、どうも’の語源  

‘ああして、こうして、そうして’の延長線上に‘どうして’がある。
‘どうして’は‘ドコ、ドレ’から出来た言葉であるが、この‘ド’は、もともとは、‘ト’で、‘トコ、トレ’であった。
それでは、なぜ、‘ト’の‘T’が不確定の疑問に使われるようになったのか。
‘T’の調音点が‘S’の調音点の内側、歯茎にあり、舌先をチョンと点けて発音することから、‘点(TeN)’の感覚があるからである。‘S’には流れの感覚があることから‘線(SeN)’、あるいは、面のイメージがあり、‘T’には点として、そこから絞り込むイメージがあるからではないだろうか。
この‘どうして’から、‘どうにかして’、そして、‘どうか’が出来てきた。
日本語として非常によく使われる、‘どうも’、‘どうぞ’も同じように出来てきたのだろう。それ故か、これらの表現はいずれもやや曖昧さを含んでいる。
     (平成23年11月11日)

   点 と 線   古代の空間認識  

設問(1)
左の文字列の中から、右のイメージ群のうち最も相応しいと思われるものを選び、それぞれ線で結べ。

 ‥澄       複繊法)ちる
◆\       (B) ちょっと着ける
 面       (C) 流れ

大方の答えは、
  宗宗宗 複臓
◆ 宗宗宗 複叩
 ――― (A)
となると思われるが、(A),(B),(C)は、それぞれ音素‘M’、‘T’、‘S’のもつ‘語感’の一部である。すなわち、
(A) ‘M’
(B) ‘T’
(C) ‘S’
である。上記の正解表を発音表記し、これを加えると、
 ‥澄複圍紕遏法宗宗宗 複臓法  藤圈
◆\(Sen)――― (C)  ‘S’
 面(Men)――― (A)  ‘M’
となり、意味と‘語感’が少なくとも矛盾していないことが分かる。
点、線、面という漢字が、その昔大陸でどのように発音されていたかは分からないが、当時の大和人がそれらを‘Ten’,‘Sen’,‘Men’と聞きなし日本語にしたのだろうから、少なくとも当時の日本人は‘語感’に敏感であったことが分かる。

ところで、‘Ten’,‘Sen’,‘Men’の共通項は‘en’である。‘En’と発音する漢字としては‘円’、‘縁’がある。ともに繋がりを含意しており、時空の基本概念を表わしているように思われる。
語感的にも、‘E’にはベースとしての繋がりのイメージがあり、撥音‘n’にはけりを付けるイメージがあり、‘En’となって、連続と限を表わし、やはり時空の基本を表現するのに最適となっている。
この時空の基本概念‘En(縁、円)’を子音で修飾したのが、点、線、面であるが、その他の子音ではどうだろうか。
残りの子音として、‘K’,‘N’,‘H’,‘R’があり、それぞれ時空を表わす漢字としては、‘圏’、‘年’、‘辺’、‘連’がある。これらを‘語感’からみると、‘圏’の‘K’には切り取るイメージがあるのでぴったりであるが、‘年’、‘辺’はむつかしい。‘R’には、ばらけて賑やかイメージがあるので、阿波踊りの連のイメージにそぐってはいる。
      平成23年7月12日

   ‘’ か ‘さん’ か   (  と  の距離感の違い )  

最近、同期入社50周年の会合があった。

同じ会社とはいえ一度も同じ職場で働いたことのない者もいれば、同じ職場で何度も働いたことのある者もいる。中には、同じ職場で上司・部下の関係になった者もいる。
このような仲間が50年振りに集まったのである。

40名余り集まってみて、まずお互いの戸惑いは、名前と顔が一致しないことである。50年前一ヶ月近く合宿生活を送ったとはいうものの、その後会ったことのない人もいて、名前を思い出すのに苦労をした。

次に、戸惑ったのは、その名をどのように呼ぶかである。呼び捨てにするか、君付けにするか、さん付けにするか。
さん付けが一番無難そうである。しかし、一人をさん付けにして呼ぶと、他の人を呼び捨てにしたり、君付けにするのも、なにか差別のようで、気になる。しかも、親しい仲間をさん付けで呼ぶと、なにか白々しい。

どうして、さん付けがよそよそしく、君付けが親しさを感じさせるのだろうか。
それは、日本語の慣行であり、そのように決まってきたのだというのが大方の言語学の先生方のお答えだろう。
では、どうして、そのように決まってきたのか。‘君’というのは、元来、君主、御主人という意味で、親しいなどとは恐れ多い。なのに、ナゼ、親しい仲間を君付けにする慣行が定着したのか。
従来の言語学には明確な答えはない。

‘さん’と‘君’の違いを語感から考えると、ここには、音素‘S’と‘K’の距離感の違いがある。
‘K’を発声するときの調音点は口の奥・ノドにあり、‘S’の調音点は口の出口近くにある。しかも、‘S’には流れ出るイメージがある。
自分の中心にあるのが‘K’で、それを離れ、むしろ離れていくイメージが‘S’である。
ここから我々の先祖は、手の届くものを‘KoRe’といい、手の届かないものを‘SoRe’というようになった。‘KoKo’,‘SoKo’も‘KoNo’,‘SoNo’も同じ感覚である。
‘君’と‘さん’は、他の音素も違うが、語頭の‘K’と‘S’の違いが効いて、我々は‘君(KuN)’の‘K’に近さ、親しさを、そして、‘さん(SaN)’の‘S’に距離感を無意識に感じてしまうのである。(母音‘u’も母音‘a’よりも近い。‘a’は発散し離れていく。その他、‘u’はうちうちのイメージがあり、‘a’にはオープンなイメージがある。)

‘さん’は‘様’の崩れたもの。そして、もっと崩れて‘ちゃん’が出来た。
‘ちゃん’は‘さん’の幼児言葉から出来たのだろう。‘さん’とはっきり発声できない幼児は‘タン’という。この‘タン’が拗音化したのが‘ちゃん’である。
‘さん’が拗音化して‘ちゃん’になると、親しさがでるとともに、かわいらしさが出てくる。ここから、大人もかわいい子供に対して、ちゃん付けにするようになったのだろう。(拗音には甘える感じもある。)

ちなみに、人の名前にも色々あって、なかには堅い名前、重々しい名前などがあるが、これに‘ちゃん’を付けて呼ぶと、堅さ、重々しさなどが中和されて、かわいさ、親しさが出てくる。
また、‘殿’を付けると、‘Do’が効いて、重々しさがしっかり出る。
   (平成22年5月10日)

    と  の距離感の違い  

オレ という言い方がいつ頃生まれたのかは分からない。しかし、この言葉によって音韻のもつ距離感がより分かりやすくなる。
アレ・ソレ・コレ・トレ(ドレ) の距離感についてはすでに論じた。(言語哲学、あるいは、 → 語感 上級
今ここに オレ・カレ・タレ を加えると音韻 a と o の距離感の違いがよりはっきりする。
アレ は、手の届かないところにあって、場合によっては、その場にないものを指し示すことができる。
ソレ は、手が届かないが比較的近くにあり具体的に指し示すことができるもの。
コレ は、手の届く身近にあるもの。
トレ(ドレ)は、手が届くか届かないかは関係なく、アレ・ソレ・コレ の前段階的なものである。
ここに、オレ を加えると当然 オレ が一番身近になる。アレ には距離があるが、オレ には距離がない。 a よりも o の方が身近なのである。
ドレ に対し人間を対象にした場合は ダレ になる。 o が a に変わる。そして、ドレ の場合は選択の対象が アレカ・ソレカ・コレカ 決まっているが、ダレ の場合は全ての人間を含み対象が絞られていない。ここにも a と o の距離感(あるいは、広がりの感覚)の違いが生きている。
カレ は コレ の o を a に変えたものであるが、コレ には手が届くが、カレ には手が届かない。感覚的には、カレ は ソレ よりも遠く、アレ に近い。
  Re>TRe>KRe>TRe>SRe>KRe>Re

          (平成21年11月6日)
もちろん、a と o の距離感の差は a と o の語感の違いから来る。
a を発声するときは母音の中でも口を一番大きく開ける。そのため、息が外へ広がるように出る。
一方、 o を発声するときは口先をややつぼめ口の中を丸く大きくする。このために息が口の中にこもるような感じになる。
その結果、 a では外へ拡がっていくイメージがし、 o では中に留まるイメージがするのである。

   点・線・面 の次元の違い    ( T・S・M )  

Tenn,Senn,Menn の発音の違いは T,S,M の違いである。
点・線・面 という漢字は大陸から入ってきたもので、読みも大陸から伝わったものである。
大陸での発音そのままではなく、当時の日本人が日本語に聞きなしたものである。

点・線・面 の関係は、点が連なり線となり、線で囲めば面になるという関係で、数理的には次元が一つずつ上がるのである。(面は2次元、線は1次元、点は0次元か)
T・S・M の語感もこの関係に対応している。
T音は舌先を軟口蓋にちょっと付けて発声するので小さな点のイメージもある。
S音は息を舌先面、歯並びの上を滑らせるように流すので、流れのイメージがあり、筋のイメージが線のイメージに繋がる。
M音は口に溜まった息を唇を破裂させるというよりも鼻に一部抜くため、ゆっくり感が出てカタマリの表面が盛上がるイメージがある。
ちなみに、B音の発声では、口の形は M音と同じであるが、鼻に抜かずに唇で破裂させるので破れるイメージとなるが、M音では破れず面のイメージが残る。

Tenn・Senn・Menn は日本人の聞きなしではあるが、元の大陸での発声でも多分このような違いの基はあったのであろう。
いずれにしても、当時の人々は大変鋭い語感と数理的感性を持っていたのである。

Tenn・Senn・Menn の共通項は enn であるが、この enn を持つ他の漢字はどうであろうか。
円(enn、Yenn)、圏(Kenn)、年(Nenn),元(Genn),連(Renn),然(Zenn)が考えられるが、何か根源的なもの、あるいは、単位的なものを表わしているように思われる。言語哲学としても面白いテーマだと思う。
又、円、元、銭 が通貨の単位として使われているのも何か関係がありそうで面白い。
     (平成21年11月9日)

   開ける と Open  

日本語の「開ける」と英語の「Open」は、ほぼ同じ意味合いである。
語感から言葉が出来たとすると、先頭音が A と O では全く違うことのように見える。
日本語の「開ける」を解剖すると、まず開いた状態を表わす A がきて、KeRu という動詞変化がついている。原型は AKu であるから Ku の変化である。活用変化は日本語の約束事で、日本語のクセのようなものである。Ku は動きを表わす接尾語で切れのある動きを表わす。
「Open」の O は、口の中に大きなものが籠もったイメージで、PuN は、これがあふれ出る状態をイメージしたものであろう。(この場合、スペルではなく発音です。)
Pa では破裂に近い、それを少し弱めて噴出する Pu として完了した状態を表わす N をつけたのだろう。
( Open がいつ頃からの言葉でどのような経緯で今の形になったかは知らない。これは、今、Open という言葉を作ったら語感的にはどうかという思考実験である。)
「開ける」と「Open」で日本語と英語の発想法の違いが明らかに出ている。この場合、日本語では動作の結果を提示して、それへの動きをつけて表わし、英語では元の状態からそれがどうなっていくか描写して表わしている。
全ての言葉がこのように語感で解析できるわけではないが、「開ける」と「Open」のペアーはたまたま古い形がよく残ったのだろう。

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